2021/09/27
魚吹八幡神社(姫路市)前編
御由緒
魚吹(うすき)八幡神社の
楼門横の案内によれば、
「魚吹八幡神社の起源は、
神功皇后摂政3年(202)
西海より御還幸のとき、
お艦(ふね)を宇須伎津の
湊に泊められた時、
皇后御神託を受け此処に
浄地を開き一小社を造り、
玉依姫命を奉祀して
敷島宮と号せられました。
(中略)
第25代武烈天皇7年(505)に至り、
魚の砂吹き寄せの故事により
魚吹大神宮と号せられました。
(後略)」
このように書かれていて、
ここで気になるのが、
「魚の砂吹き寄せの故事」です。
魚吹八幡神社のサイトを見ると、
「魚吹の由来について、
播磨國風土記には宇須伎津と見え、
本来、当地方は
海べりの砂堆積地であった。
神功皇后伝説と相交わり、
魚が群れをなして砂を吹き寄せて、
土地が出来たと云い伝えられている。
これは洋の東西を問わず語られる
神話的方法で、魚は人とおきかえ、
すなわち、多くの人々が、
海を埋め埋めして開いていったと
解するが自然であって、
後生永く伝えるため、
魚吹伝説として
今日まで云ひ伝えられた。」
このように書かれています。
山口県、鰐鳴八幡宮の「ワニ=人」と
同じような言い伝え方ですね。
「魚吹」、
ようやく解明出来て安心しました(笑)
社頭
神社の駐車場はどこなのか・・・
少し迷った後、
楼門から入って見ると、
境内に広い駐車場がありました。
楼門の真ん中を車でくぐるなんて、
畏れ多いとは思いましたが、
これも寛容な神様のお陰と感謝です。
楼門前。
まずは、左手前の社へ。
祓戸社的な存在かな?
神社名は不明です。
文政四年(1821)
御年200歳を迎えた大灯籠。
大きさの比較で妻登場(笑)
対になる左側の灯籠。
兵庫県指定有形文化財の楼門。
案内によると
「建築年代は不詳だが、
鬼瓦及び丸瓦に
貞享三年(1686)の刻銘がある」
このように書かれています。
楼門の表側は随神様、
そして裏側(本殿側)には、
古い木造狛犬が鎮座しています。
吽形。
写真、白飛びしてしまった(汗)
吽形の狛犬前の百度石は、
天保十二(1841)年建立。
手水舎。
水が流れ、柄杓が並べられ、
感染への特段の注意書きもなく、
以前と変わらない光景です。
コロナ禍対策として、
柄杓を無くす無くさない、
注意喚起を強くする、
やんわりとする・・・
神社さんそれぞれの考え方、
すべてが正解でしょう。
まさに今、大流行の「多様性」を
僕は大いに支持します。
手水舎横の鐘つき堂。
神馬舎。
拝殿へ。
アヒル口っぽい狛犬。
両足にはミサンガ・・・
ではなく、願掛けのための
足止めが巻かれています。
この足止め祈願、
「叶」という文字に似せ、
結び目の表が「口」、
裏が「十」になるように結ぶのが
コツだとか。
吽形。
唐破風の向拝。
施された彫刻は繊細。
こちらの彫刻も素晴らしい!
土足でそのまま奥へ。
鈴緒は変わらずそのまま。
神社のこの光景、
やっぱり良いな~。
勿論、僕たちは鈴を鳴らして参拝。
拝殿横から撮影。
本殿は、正保二年(1645)の再建。
(案内による)
僕は正保という元号を聞く度に、
正保元年、三代将軍徳川家光が
全国の大名に命じて提出させた、
正保城絵図(しょうほうしろえず)を
思い出します。
現在残る63点の城絵図は、
全て国指定重要文化財で、
江戸時代初期の
お城の詳細を知る上で、
貴重な資料となっていて、
家光の残した功績の一つです。
(命じられた方は大変だったか?)
本殿右後ろ。
本殿玉垣内に鎮座する
武内神社の由緒。
御祭神はもちろん武内宿禰命。
格子の隙間から参拝。
それにしても右側の本殿、
懸造みたいな長い柱ですね。
(後編へ続く)