宇土城(熊本県宇土市)

 

人物からの切り口

訪問するお城を選ぶとき、

外観や石垣の魅力、

遺構の多さなどに目が行きがちですが、

最近は、

「明智光秀由来の宇佐山城」とか、

「徳川家康由来の岡崎城」など、

「武将」からの

切り口が増えて来た気がします。

そして、今回訪問したのは、

小西行長由来の宇土城です。

この小西行長という方、

関ケ原で負けて処刑されたくらいしか

あまり印象がありませんでしたが、

やはり聞くと見るとでは、

大違い(大袈裟?)

新たな発見もあり、

大いに楽しませてくれた宇土城です。

熊本へ

今回使ったのは、

期間限定ながら6千円で、

北部九州2日間乗り放題の

「みんなの九州きっぷ」。

新幹線や特急を何回乗っても

同じ料金ですから

「乗り鉄」に徹する方ならば、

十万円分は乗れるでしょう(笑)

7:01博多発、

つばめ309号で熊本へ。

つばめ号の車内は木目基調。

壁のキンキラキンが目をひきます(笑)

つばめ号の車窓から。

福岡は昨日まで大雪・・・

今日になっても雪はそのまま残り、

空もどんよりしています。

ところが・・・

8時前、熊本駅に着くと、上空は快晴!

長い間、極寒で、

あまり体験する事がない程の

沢山の雪が積もる福岡から来た僕たちは、

何だか別世界に来たみたいで、

久~しぶりに見る青空に

大きな有り難みを感じ、

感動さえ覚えてしまいます(笑)

本日の相棒(車)とここで合流。

ここから宇土城までは、約40分。

宇土城本丸

グーグル先生が導いた場所は、

民家の裏側(汗)

その後、アナログを駆使(笑)して、

本丸下の駐車場を発見。

駐車場横の案内板。

案内板の想像図。

ここから階段でいきなり本丸へ。

本丸はゲートボールに興ずる

年配者たちの憩いの場となっています。

そんな人々を見守っているのが、

こちらのお方。

宇土城を建てた小西行長公。

正面から。

小西行長の案内。

豪商の息子として生まれ、

キリシタン大名となり、

豊臣政権下で活躍。

その後、関ケ原の戦いで負け、

処刑され、生涯を閉じています。

案内の右下には、

関ケ原での小西行長陣跡の写真もあり、

昨年11月に行ったばかりの僕たちは、

思わず気分が高揚してしまいます(笑)

「ジュリアおたあ」の案内。

小西行長が朝鮮出兵の時、

現地から宇土に連れてきた

朝鮮人孤児(少女)の話で、

キリシタンであった「おたあ」が、

家康の命に従わず棄教しなかった為

伊豆諸島の神津島(こうずしま)に

島流しとなり、その神津島には、

「おたあ」の顕彰碑や十字架があると

写真付きで紹介されています。

神津島のサイトを調べると、

「ジュリア祭」という

おたあジュリアを偲ぶ祭りが

50年間も続いています。

(51回目はコロナ禍で中止)

神津島、行ってみたいかも(笑)

小西さんの後ろ姿。

相変わらず、

ゲートボールを見守っています(笑)

石垣

宇土城に残っている石垣の

その殆どは、小西行長没落後、

宇土城を手にした

加藤清正時代のものだそうです。

石垣の積み方は、

打込み接ぎですから、

やはり加藤ちゃんの時代でしょう。

本丸下の石垣。

大手横。

大手付近。

このあたりにも

石垣と堀跡が残っています。

島原の乱の後に、

幕府の命により

徹底的に破壊されたという

宇土城の石垣ですが、

後世に修復されたのか、

思った以上に見ることが出来ます。

北側の石垣。

熊本にも雪が残っていますね。

ここから再度本丸へ。

途中で見つけた本丸したの石垣。

野面積みですから、

これは小西行長の時代のものかも?

本丸下の斜面。

最後に小西さんと共にスリーショットで〆。

今日のトイレ

駐車場横にあったトイレ。

「手水庵」という名前が付いています。

僕が最初にこの名前を見た時、

「ここに休憩所があるよ」

そう妻に言ってしまいました(汗)

たかがトイレ、されどトイレ、

トイレに名前を付けるなんて

粋な事やりますね、宇土市さん!

 

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