安浦神社(福岡県行橋市)

 

1粒で2度おいしい

安浦神社への訪問は、

昭和二十年、

米軍機から機銃掃射された弾痕が残る

「戦争遺跡」としての見学と、

神社に残る古い石造物などを楽しみ、

そして「神様に参拝」するという、

二通りを同時進行した形となりました。

「1粒で2度おいしい」、

これは、

僕達世代なら誰でも知っている

アーモンドグリコの

キャッチフレーズですが、

まさにそのとおり、

「一度の訪問で二倍の充実感」(笑)

そんな安浦神社です。

御由緒

稲童1号掩体壕から車で3分、

安浦神社に到着です。

機銃掃射の痕を見る前に、

まずは神社の御由緒を確認。

内容を抜粋すると

「御祭神は、

活津日子根命、天津日子根命、

櫲樟日命。

天慶元年(938)覗山城主の

高瀬太郎種忠により造営。

社は海辺にあり海上安全の守護神として

安楽倉大明神と呼ばれていたが、

建久年間(1190~1199)に

現在地に社殿を建て直し

「安浦神社」と改ためた。

鳥居に「安楽大明神」と刻まれているのは、

このためと思われます。

棟札によると

神殿(本殿)は、

天和二年(1682)に建てられ、

幣殿と拝殿は明治十三年の再建と

書かれています。

鳥居の建立は元禄十年(1697)で、

行橋市内では、

須佐神社の鳥居(寛文六年=1666)、

簑島神社の鳥居(延宝五年=1677)に

ついで、三番目に古い鳥居です。」

このようになります。

ちなみに

高瀬太郎種忠をネットで検索すると

葉加瀬太郎の画像が、

山のように出てきます(笑)

横参道

安浦神社の参道は、

熊本県の阿蘇神社などと同じ、

本殿に並行した

横参道が長く伸びています。

横参道入口。

ここからは弾痕巡り(笑)

石造物の全てに対し、

一つひとつ弾痕を確認しながらの

神社参拝というのは、

過去に経験がありません。

鳥居裏側の貫や柱の弾痕。

燈籠の弾痕。

蕨手の一つは破壊され、

柱も損壊しています・・・。

紀久姫記念碑の弾痕。

地図で見ると、

近くに「菊姫玉明神」という

神社がありますが、

そちらと関係がある石碑でしょうか?

「日清 日露 従軍記念碑」は、

何箇所もの凄まじい弾痕がありますが、

石が折れる事もなく、

今も立ち続けています。

何の変哲も無い燈籠に見えますが・・・

ここにも弾痕が・・・。

嘉永二年(1849)の寄進なので、

御年170歳ほど・・・

まだまだ長生きしてほしいものです。

さらに参道を進んでいくと

神社の由来とともに、

稲童神楽の紹介があります。

明治時代から始まった

比較的新しい神楽です。

文中には、

「秋祭りの前に、毎年「花納」

(はなおさめ)の行事があります。

「花納」は文治元年(1185)

宇都宮信房が稲童浦に上陸し

安楽大明神の仮宮を

建立したことにちなんで行われる行事で、

このときにも

稲童神楽を奉納していました。」

このように書かれています。

冒頭の御由緒には、

「天慶元年(938)覗山城主の

高瀬太郎種忠により造営。」

「建久年間(1190~1199)に

現在地に社殿を建て直し

「安浦神社」と改ためた。」

とありましたが、

高瀬太郎さんの造営から250年後、

関東から九州に下向した

新たな為政者である宇都宮信房さんは、

自身の故郷、

宇都宮(栃木県)に鎮座する

二荒山神社の神様を勧請し建立した

築上郡の岩戸見神社のように、

ここにも新たなる安楽大明神を

勧請したのかもしれません。

(僕の勝手な推測です)

横参道の終点を右に折れると、

ここから一直線で、

御社殿へと続いています。

まずは社号標の弾痕から・・・。

アメリカ軍の飛行機には、

12.7mm機銃弾が

装備されているものが多く、

この弾痕もその機銃弾かも知れません。

燈籠の弾痕。

天保十三年(1842)奉献の狛犬。

こちらは見た限り弾痕はありません。

愛嬌たっぷりの吽形も無傷。

案内に記されていた、

元禄十年(1697)建立の鳥居。

島木の部分に三カ所ほど弾痕があります。

二の鳥居。

弾痕は無いようですが、

「昭和二十年戦災昭和四十年修理」

このように書かれていますので、

実際には、

かなりの被害はあったのでしょう。

御神木。

その左下を見ると・・・

ここにも機銃掃射の痕が・・・

手水舎。

滴(しずく)型の手水鉢は、

文政四年(1821)の寄進で、

弾痕は見られません。

御社殿

手水をすませ御社殿へ。

拝殿。

拝殿前の狛犬は明治二十年の寄進。

吽形。

ぱっと見た目にはわかりませんが、

後ろ足を見るとこんなものが・・・

「平成十五年八月」

これは修復された年月で、

吽形は機銃掃射を受けて、

後ろ足部分が破壊されていたのです。

ここまで美しく修復した石工さんの

匠の技に二人して感動しました!

参拝。

神額には「安浦大神宮」の文字。

ということは、

一時期、天照大神さんも

一緒に祭られていたのかも?

拝殿左側から本殿へ。

天和二年(1682)建立の本殿。

文化財指定されても

良さそうなものですが・・・

本殿斜め後ろから撮影。

境内社

本殿向かって左側(神社の西側)には、

合祀された末社群が鎮座しています。

各社の神額ではなく、

石垣右側に十三社の名前が

分かりやすく並べられているのが、

参拝者には有り難い限りです。

ここまで導いてくださった

猿田彦大神に参拝。

そして、この後、雪が激しく降り出し、

記念のツーショットはこんな感じに!

真っ白(笑)

せっかくの雪なので、動画も撮影。

これにて安浦神社の弾痕巡り、

プラス、参拝は完了です。

今日の切株

安浦神社から

弾痕の残るレンガ塀を探しに行く途中

見つけたのがこんな切株です。

人の顔と髪の毛に見えてしまい、

妻と二人で大笑い。

切株となっても

参拝者を楽しませてくれる

クスノキさんに感謝です!

(レンガ塀は発見出来ず・・でした)

 

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