吉田城(豊橋市)内覧編2

パビリオン
吉田城の鉄櫓(くろがねやぐら)は、
今年でで71歳。
1954年に行われた
「豊橋産業文化大博覧会」の
パビリオンとして復元されていて、
僕たちよりも年上だったとは、
ちょっと驚きですが、
パビリオンがそのまま70年以上も
現役だなんて、
これは豊橋市民にとっての
誇りと言ってもいいと思います。
観覧するのは無料だし、
維持管理費というものも、
それなりに必要でしょうが、
きっと僕たちよりも
長生きされるでしょう(笑)
100年、200年と
鉄櫓さんの末永いご活躍、
祈らずにはいられません。
3F城下町宿場町湊町
内容が濃いので、
内覧は結構時間がかかります(笑)
2Fから3Fへ
ここからは気が向いたとこを(笑)
抜粋・要約します。
岡崎城下27曲がりとは行かないものの
やはり東海道は城の南側を通る
クランク状の道となっていますね。
北西部の町。
坂下町と上伝馬町。
札木町は吉田の中心。
「呉服の大手門近くには、
吉田藩の御馳走屋敷があり、
貴人が通行するときに藩がここで
接待を行いました。」
読んで字の如し、「鍛冶屋町」。
後から出来たから「今新町」、
元からあったから「元新町」。
分かりやすい(笑)
魚屋さんがあるから「魚町」。
大名行列図・・だったかな?
「伝馬朱印状」
これがあれば伝馬OK、なければNG。
「伝馬」とは宿場で乗り継ぐ馬を
斡旋する仕事の事で、
馬自体を指す場合もあります。
「悟真寺」
「池田輝政が現在地に移転。
悟真寺は寺紋として
「葵の紋所」を使用しているように、
家康、秀忠、家光らが
宿泊休息したと伝えられています。
1636年を初めとして
数回朝鮮通信使の宿舎ともなりました。」
「湊町神明社」
「おんぞ祭りは吉田の三大祭りの一つで、
伊勢神宮に白絹布を奉納する行事を
祝って行われる祭りです。」
「キリスト教禁制」
江戸時代初期あるあるの
キリシタンが火あぶりで
処刑された記録など。
宿場=宿泊や休息、食事出来る
「駅」みたいな意味。
吉田の名産の一つ瓦。
写真の大黒天の鬼瓦は、
元禄二年(1689)の制作です。
大黒天のお顔、カッパみたい?
ごめんちゃい、大黒天様!
吉田といえば花火、
とりわけ「手筒花火」ですね!
お〜ここにも手筒花火がありますね!
パネルには僕たちが楽しんだ
豊川市役所13階の
「手筒花火体験パーク」も紹介されています。
「手筒花火体験パーク」で体験中の妻。
持ち方はこれでOKです(笑)
ホント、ここは楽しかった〜!!
元禄時代の水道経路図。
「吉田から伊勢まで陸路で
4日かかるところを、
海路で天候が良ければ
わずか半日で着くことができました。」
これにはビックリですね!
お伊勢参り、めっちゃ簡単だ〜(笑)
「前芝灯明台」(灯台)
「これは江戸時代から1907年まで
使われていた灯明台である。」
「魚町に残る能面」
「魚町には能狂言のお面と装束が
360点残されています。
その内、能面67面と能装束類は
吉田藩主大河内家のものでした。」
ここで、
いきなりイベントが発生!
これは、めっちゃレアですね!
なんと「体験用能面」ですよ。
豊橋市、体験の宝庫じゃないですか!
こりゃ〜もう楽し過ぎ〜!!
妻曰く、
ほぼ視界は無かったそうで、
これも体験して初めて理解できる事。
ありがたし!とよはしし!
「吉田大橋」
江戸時代以前から重要な橋。
「鬼祭」(現代)
「940年に創建されたと伝えられる
安久美神戸神明社の例祭。」
「鬼祭」(古図)
甲冑着てる鬼もいます(笑)
「おんぞ祭り」
伊勢神宮へ白絹奉納の祭りで、
1875年で一旦中断したものの
1947年復活しています。
「白山社例祭1」
「この神幸に従う氏子などは、
紙で桜花を作って竹にさして
供奉するところから、
花祭と呼ばれました。」
「白山社例祭2」
文化三年(1806)の文字が見えますが、
描かれた時期は
後世かも知れません。
「吉田駒曳銭」
「吉田藩は幕府の命を受け、
「寛永通宝」を鋳造したが詳細は不明。
吉田には通用銭ではなく絵銭と呼ばれる
「吉田駒曳銭」が残っています。」
「吉田城の石膏模型」
大手門より内側という
大規模かつ精巧に再現されていますね!
また、本丸に御殿はなく、
二の丸御殿のみなので、
宝永地震(1707)後の城域かと思います。
「吉田城の復興鉄櫓は、
昭和29年(1954)の
豊橋産業文化大博覧会の
一環として建てられたもので、
博覧会開催時には郷土博物館として
約830点もの
貴重な品々が展示されました。
この三の丸以内の石膏模型は、
博覧会当時の展示品で
そのまま櫓内に残っている唯一のもので、
日展審査員などを歴任した
高木久成(1911〜1996)が
制作しました。」
70年以上もの間、
よくぞ大切に保管されているものですね。
豊橋市、グッジョブ!
北側から撮影。
いいものみられました〜!
4F浮世絵で描く吉田
遂に4Fへ。
天国への階段みたい?(笑)
天守とは呼べなかったのは、
幕府に憚ったから・・・
「三階櫓」と言っていたそうだし
どこのお城でも幕府には、
気を遣ってましたからね(笑)
福岡城などは五階天守建てたものの
幕府に睨まれないよう、
短期間のうちに
ぶっ壊していますから・・
4Fの空間。
目立つのは「顔出しパネル」。
妻、池田輝政(照政)になる(笑)
豊川方面の景色。
ここまでで鉄櫓回遊は終了です。
吉田城の最後は恒例のこれで〆。