赤嵜神社(山口県山陽小野田市)前編
三ツ鳥居
三ツ鳥居といえば、
奈良県の大神(おおみわ)神社の鳥居が、
有名ですが、
ここ山口県の赤嵜神社にも
三ツ鳥居があると知り、
それ見たさ(笑)に参拝しました。
過去の旅では、
滋賀県の伊香具神社で
三ツ鳥居を見ていますので、
今回で4社目、
思った以上に出会っていますね(笑)
参道
境内の横に広い駐車場を擁する
赤嵜(あかさき)神社。
その境内入り口にあるのが、
「車オハライ所」です。
これは、分かりやすいですね!
正中(神様の通る道)でもないけど
「オハライ所」を踏まないように
歩いてしまうのは、
何故なんでしょうか(笑)
駐車場から本殿はすぐ近くですが、
僕たちは、100m以上戻って、
一の鳥居(多分)から参拝スタート。
夏真っ盛りでも
神域は清々しさが漂っています。
燈籠・・ですが、
ただの燈籠ではありません(笑)
「三矢之訓」「毛利元道謹書」と
刻まれています。
Wikipediaによれば元道さんは、
第29代毛利家当主で、
「三矢之訓」で有名な、
毛利元就公のご子孫です。
三ツ鳥居。
「三矢之訓」の「三」つながり、
妻のラッキーナンバーも「三」、
三重の喜びで三ツ鳥居を見学(笑)
勧請元である
奈良県の大神神社にある三ツ鳥居と
同じようなデザインですが、
本家のものは、禁足地にあり、
見ることは出来ませんが、
こちらは境内なので、
くぐったり、写真を撮ったり、
身近に接することができます。
斜めから撮影。
さらに先へ。
昭和十五年寄進の狛犬。
零戦が生まれた年ですね。
吽形。
三の鳥居。
参道左側の手水舎へ。
重厚感溢れる立派な手水舎。
手水鉢。
裏側には、
「明治二十八年凱旋記念」と
刻まれていますので、
日清戦争の戦勝記念かと思います。
手水鉢を必死で?よじ登る龍神様が、
なんとも微笑ましい限りです。
神社の案内。
内容を要約すると、
以下になります。
「御祭神
大己貴大神(おおなむちのおおかみ)
少彦名大神(すくなひこなのおおかみ)
御由緒
太古神代に大己貴大神、少彦名大神は
九州より大和国に帰る途中、
西須恵字赤崎の浦に船を止め
上陸。この時、
漁業、塩業、農業の術を授けた。
その事績を仰ぎ、鎮守神として祀った。
その後、鎌倉時代後期、疫病鎮圧のため、
奈良県の大神神社より分霊を勧請。
現在の社殿は明治十五年に再建され、
大正十年に大改築されたものである。」
大己貴大神(大国主命)と少彦名大神は、
二人して、めっちゃ頑張って
日本の国造りをした名コンビ。
そんな忙しい中でも寸暇を惜しまず、
大己貴大神は180人もの子供を作るなど、
その精力(笑)・・いや生命力は、
計り知れまない神様ですから、
多くのご利益がいただけそうですね!
御社殿
御由緒を確認し拝殿へ。
拝殿。
大正四年寄進の狛犬。
吽形
参拝。
鬼瓦の神紋は「三輪違い紋」。
奈良県の大神神社と似た、
「三本杉紋」と「三輪違い紋」の
二種類が御神紋になっているようです。
整然とした拝殿内。
(五箇条の)御誓文。
これを書いた巖谷修という方、
Wikipediaによれば
「はやくから能書家として知られ、
日下部鳴鶴、中林梧竹と並ぶ
明治の三筆の一人と称される。」
このように書かれています。
絵馬。
神様目線での参道。
拝殿左側から本殿へ。
本殿に参拝。
本殿と幣殿の下の通路で反対側へ。
本殿後方から撮影。
拝殿右側から撮影。
ツーショット完了。
この後、境内社へと向かいます。
今日の気になる花
本殿後ろに咲いていたテッポウユリ。
何故かみんな同じ方向に咲くんですね!