明石城(兵庫県明石市)後編

 

宮本武蔵の功績?

明石城のサイトによれば、

明石の町割りは宮本武蔵が行ったという

言い伝えがあるそうです。

また、

明石には武蔵が手掛けたという庭園も

いくつかある(あった)ようで、

この時代から既に

小笠原忠真と宮本武蔵の

親密な関係は

築かれていたのかも知れません。

明石城築城後10年ほどで、

小笠原家は小倉に加増転封となり、

宮本武蔵の養子である

宮本伊織は島原の乱で活躍、

その後、子孫は、

明治維新まで小笠原家の

筆頭家老として存続しています。

無論本人たちの力もあったでしょうが、

小笠原家は宮本家に対し

明石以来(それ以前かも)の忠義を

ずっと思い続けていたのかも知れません。

天守台

坤櫓のすぐ北側にあるのが、

明石城の天守台です。

左が坤櫓、右が天守台。

側面から天守台を撮影。

天守台への石段。

ブログを書いている時、

明石城のサイトで知ったのが、

「天守台にのぼる石段の一段目には、

宝篋印塔(ほうきょういんとう)の

基礎が使われています。」

この一文です。

写真をトリミングすると

確かに宝篋印塔の基礎がありますね!

ここから天守台内部へ。

天守台。

坤櫓をバックに

天守台でツーショット完了。

北西の虎口。

ここからは、北側の堀が見えています。

本丸下の石垣をたどり、

天守台石垣へ。

見えて来ました!

立派ですね。

正面から。

南西側から。

石垣隅の算木積みが、

なんとも美しい。

西側から見た天守台と坤櫓。

西の丸の石垣

次に西へ。

坤櫓横の門跡(多分)。

ここからは二つの櫓を見られます。

(巽櫓は木に隠れていますが・・)

西の丸下の石垣。

ここが380m続く石垣の西側の起点。

西の丸には、

稲荷郭と書かれた

縄張り図もあるようですが、

ここでは西の丸と書いています。

西の丸の西側。

西の丸石垣と坤櫓で、

明石城の散策は完了です。

今日の隠れた名所

明石城の本丸には、

こんな場所があります。

木の名前は忘れましたが、

主役は木ではなく妻・・・

でもなく(笑)、その背後の塚です。

「遺跡 人丸塚」。

「弘仁三年(812)僧空海が、

ここに楊柳寺を建てた。

仁和のころ(880年のころ)

住職、覚証が、

柿本人麿公の夢のお告げで、

人麿公を祀った。

明石城築城後は、

城の守り神として祀られてきた。」

このように案内されています。

お城が建つのは人丸山という名の山。

人丸=柿本人麿のことですね。

そして、僕たちが次に向かうのが、

明石城のすぐ東側に鎮座する柿本神社。

もちろん、柿本人麿公を祀っていますので、

元はお城にあったものが遷座したのかも

知れません。

 

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