赤穂大石神社(兵庫県赤穂市)前編
大願成就の神様
赤穂大石神社のご神徳は、
「大願成就」。
万難を排して、
キッチリ仇討ちを成し遂げた
大石内蔵助さんたちですから、
間違いなく、
これほど大願成就にふさわしい
神様はないでしょうね!
「四十七義士を祀る
大願成就の神 赤穂大石神社」
ここでは、
大石内蔵助ら義士をはじめ
赤穂藩主だった浅野家や森家など
多くの神様を祀っていて、
宇佐山城で浅井・朝倉相手に
憤死した森可成さん、
その息子で、
小牧長久手の戦いで討ち死にした
森長可さん、
さらに本能寺の変で織田信長とともに
亡くなった森蘭丸さんまで
いらっしゃいます。
なんか討死ばかり(笑)の森家ですが、
それだけ、「勇猛であった」という
証かもしれません。
また、
「例大祭は吉良邸に討ち入り
見事主君の仇を討った十二月十四日」
このように書かれています。
この日が命日の吉良さんも
きっと追悼されているのでしょうね。
参道
赤穂城の散策を終え、
三之丸の赤穂大石神社へ。
社頭。
参道両脇には、
四十七士の石像が並んでいます。
参道右側には
大石内蔵助以下、二十三体。
参道左側には、
大石主税他二十四体。
堀部安兵衛。
この人は、
名前を知ってたので、
撮影してみました(笑)
この土地に屋敷があった
片岡源五右衞門。
超有名人、大石内蔵助。
義芳門と呼ばれる
楼門前の左右には、
大石内蔵助、大石主税親子の石像が、
まるで、
狛犬の如く配置されています。
「義芳門」の説明を抜粋します。
「この門は東の楠公
西の大石と称せられる
我が国の二大忠臣義士のうち
楠木正成をお祀りする
神戸の湊川神社の神門であったのを
昭和十七年移築したものである。
(中略)
幸い義士発祥の当地に移されていたため
過る大東亜戦争の神戸大空襲にも
焼失を逃れ今日百有余年を経てなお
其の偉容を誇っている。
なおこの門は義士の忠芬義芳を
千歳までも伝える意味で
「義芳門」と称している。」
豊臣大阪城の極楽橋を移築した
琵琶湖に浮かぶ竹生島の
宝厳寺の唐門など、
たまたま移築されていて
運良く焼失を逃れた建物には、
その姿を後世に伝える
意思が感じられます。
門をくぐると両脇に番小屋?が。
ここで人間を見張っているのは、
こちらの神様です。
恵比寿様。
妻が台座の鯛を発見。
大黒さま。
綺麗に整備された境内。
手水舎へ。
お手水完了。
ですが、
もう一つ、大切な準備が・・・
「御鏡に自分自身を写し
心を正してお参りしましょう」
こんな文言がありますが、
妻は鏡を見るなり
ヘアスタイルを確認。
心の方は・・・
正した・・はず(笑)
絵馬も「大願成就」。
大石内蔵助さんの銅像。
バックにも「大願成就」の文字。
「この銅像は、
元禄十四年三月十九日の早朝、
主君浅野内匠頭長矩が
江戸城で吉良上野介に
刃傷に及んだという凶報が
早打によってもたらされたので、
藩士総登城を命じ、
自らも急ぎ本丸に赴かんとする姿である。
像の高さは二メートル余り、
台石は浅野家の
前領地常陸国笠間(茨城県)の
稲田御影石で重さは七・五トンもある。
(中略)
討入りより数えて二百七十年目の
昭和四十六年十二月十四日建立。
(後略)」
このように書かれています。
大石さんに参拝前のご挨拶完了。
(後編に続く)