竹林寺・本堂(奈良県生駒市)

 

竹林寺への道

奈良市の西側、

大阪府との県境近くに建つのが、

行基のお墓がある竹林寺です。

道案内はいつものように

Google Mapですが、

近くまでは指示してくれたものの

「大体この周辺だから、

あとは自分で考えてね!」という

投げやりなエンディング(汗)

ちょっと迷いながらも

近くの案内と「勘」を駆使して

どうにか辿り着いたのは、

「行基のお墓は絶対に参る!」

という執念があったからこそ(笑)

過去にも、山口大神宮遥拝所

広島の才蔵寺などで経験した、

Google Mapの弱点である

「崖の上の目的地」は、

ここでも生きていました(笑)

参道

このあたりがお寺の入口だろうと

細い道を入って、少し行くと、

右側に見えてきたのが、

「生馬山 竹林寺」の案内です。

「あった~!

見つけた~!

良かった~!」

車内に響く二人の絶叫(笑)

興奮しながらも(笑)

車を停めさせていただき参道へ。

何だ!この素敵な雰囲気は!

両脇が竹林の参道には

美しい苔がむしていて、

ただこれだけで、

身も心も癒やされます。

ところが、ここには、

さらなる癒やしが待っていました・・・

「この参道は 苔で一部

すべりやすく なっています。

注意して 歩いてください。

よろしく お願いします。

竹林寺」

めっちゃ優しい案内ですね!

「苔生えてる!足元注意!」(笑)

など事務的でなく、

参拝者の気持ちに寄り添った

歓迎感満載の案内に、

僕も妻もほっこりです。

案内横のお地蔵様にご挨拶。

奥へ。

竹林寺古墳。

案内には、

前方後円墳で、後円部分のみ残る、

古墳時代前期のもので、

刀剣片、埴輪片なども出土したと

書かれています。

さらに上へ。

「生馬山 竹林寺」

案内を書き出すと、

「奈良時代に行基菩薩ぎょうきぼさつ

生馬仙房いこませんぼうをかまえた故地とみられる。

行基は文殊菩薩の化身と仰がれ、

鎌倉時代に舎利瓶が出土し、

その後、

円照えんしょう良遍りょうべん忍性にんしょう凝然ぎょうねん

高僧が集い堂塔が整った。

寺名は、文殊の霊場中国の

五台山大聖竹林寺にちなむ。」

このようになります。

本堂へ

ここへ来た目的は、

「行基の墓へ参ること」ですが、

やはり先に本堂に参るのが、

礼儀正しい参り方のような気がして(笑)

まずは本堂へ。

本堂境内入口。

Wikipediaによると

明治初期の廃仏毀釈によって

廃寺となっていた

竹林寺が復興されたのは、

平成九年(1997)の事だと

書かれています。

両脇に配置された蓮の鉢。

花の時期には少し早いものの

幾つかの花は咲いています。

葉っぱに乗った水滴。

これって、癒やされるな~!

雨に濡れた蓮の花と本堂。

この花が仏様との出会いを

誘ってくれているみたいで、

心あらわれる光景です。

本堂。

参拝。

境内の散策

本堂右側には、

「行基 顕彰碑」があります。

いつごろのものかは

確認出来ませんでしたが、

廃仏毀釈の前かも知れません。

竹林寺結界石。

子安地蔵。

心がこもった木彫の寺号表札。

役小角えんのおづぬ 役小角堂」の案内。

役小角とは、飛鳥時代、

修験道の道場を日本各地に開いた人で、

今でも修験道場(元修験道場)には、

役小角のお堂や、石像などが見られます

本堂の真裏を歩いて役小角堂へ。

灯籠。

神變大菩薩じんべんだいぼさつ」の石碑

Wikipediaには、

「寛政11年(1799年)には、

聖護院宮盈仁法親王が

光格天皇へ役行者御遠忌(没後)

1100年を迎えることを上表した。

同年、正月25日に光格天皇は、

烏丸大納言を勅使として

聖護院に遣わして神変大菩薩の諡を贈った。

勅書は全文、光格天皇の真筆による。

聖護院に寺宝として残されている。」

このように書かれています。

お堂が見えてきました。

覆屋の中で大切にされています。

役小角と弟子である前鬼ぜんき後鬼ごき

参拝後、行基さんのお墓へ。

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください