中尊寺(岩手県平泉町)旧覆堂
金色堂の思い出
金色堂を出て、旧覆堂へ向かう時、
正面にあった古い建物を指して
「あれが昔の覆堂だよ!」
そう僕が妻に言った瞬間、
目の前の建物から
お坊様が飛び出してきて、
「あれは覆堂ではないですよ!
覆堂は、右奥の建物です!」
そう教えてくれたのです。
僕の声が大きいので(笑)
思わずお坊様の耳に入ったのでしょう。
この一件で、
お坊様の親切心にめっちゃ癒され、
金色堂参拝で少し緊張気味だったのが、
一気にほぐれました。
金色堂の一番の思い出は、
やはりこのお坊様ですね!
中尊寺経蔵
まずは中尊寺境内図を確認。
左端にちゃんと「経蔵」って
書いてありますが、
間違ってほんとに良かった(笑)
お坊様に癒された直後に撮影した経蔵遠景。
「重要文化財
中尊寺経蔵」
公式サイトの方が詳しいので、
そちらを引用させていただきます。
「中尊寺建立供養願文」によると、
当初は「2階瓦葺」でした。
建武4年(1337)の火災で
上層部を焼失したと伝えられていますが、
おそらくは古材をもって
再建されたものでしょう。
当初のあざやかな彩りや飾りは
長い歳月によって
すっかり洗い流されていて、
金色堂とは対照的な趣があります。
ご本尊騎師文殊菩薩(重文)と
三方の経棚に納められていた
紺紙金字一切経(国宝)は
宝物館「讃衡蔵」に移され、
新たな騎師文殊菩薩が
安置されています。(重文)」
お堂前の案内には、
「国内最古の保安三年(1122)
棟札が伝えられる。」
と書かれていますので、
このどこかに900年前の木材が
使われているのかも知れません。
参拝。
騎師文殊菩薩を直接拝めるとは、
実にあり難し!
この時、妻に
「山形の亀岡文殊で拝観したのも
こんな獅子に乗ってたよね!」
僕がそう言うと、
「そうやったっけ〜
私に言われても覚えとらんよ!」
と元気よくお答えが。
亀岡文殊に行ったのは
わずか五ヶ月前のこと・・・
前しか向いていない
妻らしいリアクションに
ただただ感服したのも
中尊寺経蔵の良い思い出です(笑)
旧覆堂(金色堂覆堂)
今度こそは本当の旧覆堂へ(笑)
拝観順路。
旧覆堂の手前に建つ芭蕉翁像と石碑。
芭蕉さん、
ここ中尊寺でも俳句を残していますが、
それを知ったのは、拝観券です(笑)
「五月雨の
降残してや光堂」
光堂というのは、
金色堂のことでしょう。
雨なのに金色堂だけには
雨が降っていないことが
詠まれています。
何故雨が降らなかったのか?
それは・・・
「覆堂」の中だったから!
芭蕉さんが金色堂を訪問したのは、
今から300年ほど前の事。
それでも金色堂が建ってからは
600年近くも経っています。
そんな古から伝わる金色堂を
大切に守っていくために
覆堂を維持してきた人々の深い思いに
芭蕉さんは感動したのでしょう。
志半ばにして斃れた、
芭蕉さんらしさがにじみ出た名句です。
そしてこれは、
金色堂を「お墓」と捉える妻の感性にも
通じるかも知れません(笑)
旧覆堂に到着。
「重要文化財 金色堂覆堂」
こちらも中尊寺のサイトが、
より詳しいので、
そちらを引用させていただきます。
「金色堂を風雪から護るために、
正応元年(1288)鎌倉幕府によって
建てられたと伝えられる5間4方の堂で、
古い記録には「鞘堂」とも記されています。
「鞘」の字には「大切なものを
保護するためにかぶせたり、
覆ったりするもの」という
意味があるからです。
松尾芭蕉をはじめとする文人墨客、
あるいは伊達政宗、明治天皇といった
歴史上の人物は、
薄暗いこの堂内に入り
金色堂を参拝したわけです。
金色堂解体修理(昭和の大修理)の際、
現在地に移築されました。
近年の調査では、
金色堂建立50年後ほどで
簡素な覆屋根がかけられ、
何度かの増改築を経て、
現在の建物は室町時代に建てられたと
考えられています。」
伊達政宗も明治天皇も
目の前に建つ、
旧覆堂を訪問していたとは、
びっくりですね!
益々、旧覆堂が好きになりますよ(笑)
正面。
芭蕉さんもこれを見たのか・・・
内部へ。
金色堂の屋根が入るように
真ん中は高く設られています。
辨財天堂
次に辨財天堂へ。
美しい池の中に佇む辨財天堂。
良い光景だ〜!
「辨財天堂」
案内板と中尊寺のサイトを
ミックスして書き出します。
「本尊の弁財天十五童子
は仙台藩主伊達綱村公の
正室仙姫(せんひめ)によって
宝永二年(1705)に寄進されたもので、
現堂宇は正徳六年(1716)に
建立されました。
また堂内には千手観音菩薩二十八部衆も
安置されています。」
真横から見ると、
水面に映る姿もより楽しめます。
時間に追われる身なので(笑)
遥拝気味に参拝。
釈迦堂
辨財天堂の隣、白山神社の
参道入口付近に建つのが釈迦堂です。
参道から遥拝。
以下サイトの引用です。
「1719年の再建で
本尊は釈迦三尊様です。
正月6日には、
中尊寺の多くの僧侶達によって
正月の法要が営まれています。」
何気に300年前の建物なんですね!
そして、この後、
お寺の閉門時間が迫る中、
中尊寺最後の目的地、
白山神社・能楽殿へと向かいます。
(続く)