中尊寺(岩手県平泉町)白山神社・能楽殿

 

神仏習合の名残

江戸時代(明治初期)まで、

お寺を護る神社があったり、

神社の中にお寺があったりと

神仏習合という形式は、

普通にあったようです。

その名残が中尊寺の鎮守社、

白山神社です。

ただ、訪問の主目的は、

江戸時代末期に再建された

茅葺き屋根の能楽殿を体感すること。

白山神社の神様・・ごめんちゃい!(汗)

御由緒

まずは御由緒から。

拝殿前の御由緒を書き出してみます。

「仁明天皇の御代嘉祥三年(850)

中尊寺の開祖である慈覚大師が

加賀の白山をこの地に勧し

自らは、十一面観音を作って中尊寺の

鎮守白山権現と号された。

配佛としては、樋爪五郎季衡の持仏で

運慶作の正観音と源義経の持仏で

毘沙門天が配案されてありましたが、

嘉永二年正月八日

(1849)の火災で焼失した。

現在ある能舞台は嘉永六年(1853)

伊達藩主伊達慶邦朝臣から

再建奉納されたものであります。

(平成十五年国の重要文化財指定)

現行の能舞は、

天正十九年時の関白豊臣秀次と

藩主伊達政宗両公が当社参拝の節観覧に

供し以来続行今日に到っている、

明治九年秋には

明治天皇が御東巡の折りに

当社に御臨幸あらせられ、

古式及び能舞を天覧あらせられました。」

ここで、注目は、

豊臣秀次がここで能楽を見た事です。

この時、秀次は、

中尊寺の寺宝である

藤原清衡が奉納した

紺紙金銀字交書一切経

(中尊寺経)五千巻の

持ち出しを命じたのかも知れません。

中尊寺の案内には、

全く触れられていませんが、

紺紙金銀字交書一切経の

紆余曲折な背景を知っている者として、

かなり気になるツボです(笑)

神社参道

中尊寺の一番奥まった場所に、

白山神社・能楽殿は鎮座しています。

中尊寺境内図では左上に

「能舞台」として記してありますね。

杉の巨木に囲まれた参道。

どデカい能楽殿の看板と

それに比べ小さな社号標、

やはりここでの主役は

能楽殿なのかな(笑)

両部鳥居を通過。

能楽殿が見えてきました。

能楽殿

本殿に行く前に

能楽殿が目の前に現れたので、

必然的にそちらから拝観します。

雪をかぶった茅葺屋根、

実に見応えありますな〜!

能楽殿右前から撮影。

この舞台の向かい側、

能楽殿の舞台と同じ目線には、

こんな場所があります。

「明治天皇展覧所」。

御由緒にあったように

ここは明治九年秋、明治天皇が、

能舞を天覧された場所です。

榊の木が藁で包まれ、

雪から守られている姿、

まるで人間をいたわっているようで、

ほっこりさせられる光景です。

能舞台全体を撮影。

茅葺き屋根を維持するのは、

きっと至難な事でしょうが、

ずっと残して欲しいものです。

能楽殿あるある、

舞台の松の木の絵。

どれだけ見ても

見飽きません。

白山神社

次に神様のもとへ。

拝殿。

茅の輪くぐりのシーズンでは無いのに、

茅の輪が設置してあり、

しかも絶対に潜らないと

参拝できない感じで、

確実に体は清められた状態で

参拝ができるシステムなんですね(笑)

茅の輪くぐりと人形祈願。

茅の輪をくぐったり、

人形に願いを込めたりし、

罪も穢れも無かったことにできる

日本伝統の素敵な習慣(笑)が

案内されています。

拝殿から本殿(右奥)へ。

本殿裏。

ここは中尊寺境内図に

「西物見」と記された場所で、

木々の枝が視界を遮るものの、

北上川も見え、間違いなく

ここは「物見」になっています。

本殿横の境内社、

白山神社十二支一代守護神社。

ここまでで白山神社参拝は完了です。

参道(帰路)

閉門時間の16時30分まで15分。

あとは参道を戻るだけなので安心し、

来た時にスルーした場所を

拝観しながら帰路へ。

茅葺き屋根の建物に納められた梵鐘。

梵鐘。

以下、案内です。

「康永二年(1343)に

金色堂別当頼栄の発願により

鋳造された盤渉調の梵鐘。

撞座は長い歳月にわたる打鐘で窪み、

現在この鐘が撞かれることはない。

鐘身の銘文には建武四年(1337)

山上の堂塔が火災により焼失したと記し、

奥州藤原氏以後の歴史を伝える

資料としても貴重である。

径八六センチメートル」

700年前に鋳造された梵鐘を

ズームで撮影。

大日堂。

中尊寺のサイトを引用すると、

「1802年の再建で、

本尊は金剛界大日如来

(こんごうかいだいにちにょらい)。

前庭に建つ石造の宝篋印塔は

1823年に造立されました。」

このようになります。

薬師堂。

小さなお堂かと思ったら

大間違いでした(笑)

令和二年に建て直されています。

案内を抜粋すると、

「本尊には慈覚大師作と伝えられる

薬師如来立像が奉られ、

脇仏として日光菩薩立像、

月光菩薩立像が安置されている。

眷属として

薬師如来の分身・化身とも言われる

十二神将も奉られている。

中尊寺山内で薬師十二神将像が

併置されているのは

当堂のみである。」

このようになります。

奈良の新薬師寺のように

十二神将までが、

フルラインナップされているとは、

凄い薬師堂ですね!

ひたすら参道を下り寺頭へ。

弁慶堂下の東物見からの景色で

中尊寺参拝は全て完了し、

源義経最後の地、

高館義経堂へと向かいます。

 

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