越前大野城(福井県)土井利忠公像

 

小藩の底力

江戸時代中期以降、

大借金を抱えていた藩は多く、

それが故に「中興の祖」なる名君も

現れていて、その一人が

越前大野城に銅像が建てられた、

七代藩主、土井利忠公です。

米沢藩を再建した上杉鷹山とか、

再生請負人の二宮尊徳のように

全国区ではありませんが、

実際に現地を訪問してみると、

この方が藩の再生だけでなく、

日本国時代の未来を見据えて、

蝦夷地開拓はじめ、

超積極的に行動していたことを

知りました。

越前(福井)の山奥にある

わずか4万石の小藩の底力、

実に凄い!

登城路

土井利忠公を祭った

柳廼社(やなぎのやしろ)に参拝後、

拝殿左側からお城の登り口へ。

ここからすでに城門が見えています。

城門側面。

越前大野城は、「亀山公園」として

整備されています。

城門正面からスタート。

「越前大野城まで800m20分」

励まされますな〜この案内。

少し行くと石碑を発見。

土井利忠公の功績の一つ、

「大野丸」のレリーフで、

案内を要約すると以下になります。

「蝦夷地(樺太)開拓のために

造らせた西洋型帆船で、

安政五年六月に竣工。

大野丸は安政六年三月から

敦賀・蝦夷地間を往来し

開拓の事業は大いに進展した。

元治元年(1864)八月、

根室沖で遭難し、惜しくも沈没。」

山奥の藩が船を持つだけでも

稀有な出来事だったでしょう!

あと550m15分。

ここで階段(最短ルート)を選択。

土井利忠像

階段を上り切ると、

藩主自ら出迎えてくれます(笑)

土井利忠公。

土井利忠公の功績。

ここにも

「4万石の小藩ながら」と

その身の程知らず(いい意味で)ぶりを

強調されていますね(笑)

改めて、桜と土井さん(笑)

凛々しいお顔、

惚れてしまいそう?(笑)

像の前の四阿(あずまや)。

屋内には土井利忠公の功績が、

「幕末の大野藩の偉業」として、

びっしりと書かれています。

冒頭に、

「土井利忠は、文政元年(1818)、

八歳で大野藩主となった。

当時の藩政は非常に苦しく、

洪水、火事、凶作など度重なる災害によって

多額の借金をかか得ていた。

そこで、忠利による藩政改革は、

天保十三年(1842)「更始の令」という

かつてないほどの倹約令ではじめられ、

まず、藩財政の立て直しと、

有能な人材の登用及び要請を柱にして

すすめられた。」

このように書かれ、その後の、

藩校「明倫館」開設、蘭学の研究、

大野藩の産物を全国規模に販売展開した

「大野屋」の開店と成功、

蝦夷地開拓に関しての大野丸の建造、

済生病院の開設、

領内での大砲・鉄砲製造など、

多くの実績が紹介されています。

こんなに凄いことが出来たのは、

藩主土井利忠公の慧眼と、

小藩だからこそ即断即決でき、

小回りも利くというプラス面が

実を結んだ結果でしょう。

これって、

今の政治や会社にも

そのまま通じますね(笑)

(続く)

 

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