延命院(茨城県坂東市)平将門公胴塚

胴塚への道のり
平将門の名を初めて知ったのは、
教科書に出てきた「平将門の乱」です。
中央政府への反逆者として
記述されていたと思いますが、
そのイメージが覆ったのが、
50年ほど前の大河ドラマ
「風と雲と虹と」でした。
加藤剛扮する将門は純朴で一途、
坂東で理想の国を目指すも
朝敵として討ち取られてしまう・・
そして、僕の受験が終わった頃、
「平将門」は僕の頭から消えていました。
そんな「将門」が蘇ったのが、
2年ほど前(令和5年)、
滋賀県大津市にある
「瀬田の唐橋」を旅した時の事です。
この日は雨が強く、
予定していた観音寺城行きを止めて
京都の金戒光明寺に向かっていた時、
瀬田の唐橋を通りがかり、
妻の熱望で、
橋を歩く事にしたのです。
その時この案内にある
「俵藤太秀郷のむかで退治」を見て
そう言えば、この人、
将門を討ち取った藤原秀郷だな・・・
と将門さんを50年振りに(笑)
思い出したのです・・
という事で、
俄然、将門さんが気になり、
その半年後(令和6年1月)、
まずは東京大手町の首塚(将門塚)へ!
ビルの谷間の将門さんの首塚。
ここには、
老若男女の参拝者がひっきりなしで、
将門さんの人気振りを
目の当たりに出来ました。
しかし、
首塚だけでは「片参り」なので、
やはり胴塚にも参ろうと考え、
このたび茨城まで来たという訳です。
平将門公胴塚
車で延命院の境内に入ると、
そこかしこに駐車場への道案内があり
全く迷う事なくゴール出来ます!
こちらが、「ラスト案内」。
「ラスト サムライ」
みたいな響き?(笑)
胴塚への参道。
幟のはためきって、
ホント気分を上げてくれますね!
高い木の向こう側が胴塚です。
胴塚に到着。
向かって左側から撮影。
太てゴツゴツした幹の
御神木と塚の盛り上がり、
間違いなく胴塚です・・・
案内の標柱。
胴塚の真裏の「谷原不動堂」。
胴塚との関係は不明です。
案内を書き出すと
以下になります。
「延命院の将門山(神田山)」
「平将門は、天慶三年(940)
二月十四日の夕、
戦に敗れて本陣に帰る途上で
矢に射られて三十八歳の生涯を閉じた。
首は京都に送られたが、
後に武蔵國柴崎村に葬られた。
胴体はこの延命院境内の一隅に埋められて
将門山と呼ばれた。
この地は、相馬御厨の神領なので
将門山はあばかれることなく
今に及んでいる。
昭和五十年に「南無阿弥陀佛」の碑は
東京都の「将門塚保存会」からの寄贈、
「大威徳将門明王」の碑は
延命院住職倉持照最氏の寄進、
顕彰碑は
岩井市民の浄財によって建設された。」
まずは正面へ。
参拝。
真新しい生花や、
沢山のお供物もあり、
将門さんの慕われ具合が
肌で感じられます・・・
素朴な板碑もなかなか良いですね!
後ろで見守る六地蔵たち。
次に横から参拝。
こちらも真新しい生花や
手入れが行き届いた台座など
将門愛が詰まっています・・
東京の首塚は、近代的に整備され、
坂東市の胴塚は、
素朴さ満載と対照的な二つの塚、
それぞれが素晴らしく、
両参りできた事、
改めて、瀬田の唐橋に感謝です(笑)
観音堂
次に観音堂へ。
やすらぎ地蔵尊と観音堂。
参拝。
軒の扁額を見上げてびっくり!
山内一豊と同じ、
「丸三葉柏紋」ですよ!
これは山内さんと何か関係あるのか?
・・いや無いでしょう(笑)
毘沙門堂
最後に観音堂に正対する毘沙門堂へ。
エントランス。
扉は開かないので、
お賽銭は無し。
毘沙門天様はお優しいので、
気持ちだけでも十分なはずです(笑)
観音堂前にてツーショット。
これにて、
平将門公胴塚のお参りは完了です。