将門塚(東京都)

 

将門まさかど塚へのいざな

ずっと以前から知ってはいたけど

行く意思が無かった将門塚。

そんな場所に誘ってくれたのは、

平将門を討ち取った藤原秀郷ふじわらのひでさとです。

秀郷さんを詳しく知ったのは、

妻のインスピレーションで訪問した

滋賀県の瀬田の唐橋で、

ここでは秀郷さんの

大むかで退治の逸話が有名です。

彼はそれに加えて、

有名な将門さんも退治しているのですから

相当な強者なんですね!

このような経緯もあって、

将門塚が行きたい場所リストの

上位に急浮上(笑)

結果、

今回の訪問となったのです。

九段下から将門塚へ

靖國神社参拝後、

地下鉄で九段下から大手町へ。

大手町駅の地下通路は、

Googleマップのお世話になります(笑)

出口C5から地上へ。

C5を出たら将門塚はすぐそこです。

地図で確認。

広域図で見ると、

将門塚は江戸城の大手門近くなんですね。

将門塚までは、徒歩で十秒(笑)

将門塚

こんな都会に「塚」(首塚)があるのは

ちょっと不思議ですが、

逆にギャップ萌え(笑)するかも?

塚は、文字通り「ビルの谷間」。

塚のエントランスには、

写真左側の

「東京都教育医委員会バージョン」と

境内図の向こう側に建つ

「将門塚保存会・神田明神バージョン」との

二つの案内板が建てられていて、

歴史など被る内容はあるものの、

表現が全く違うので、

読んで見ると面白いと思います。

まずは教育委員会の方から抜粋します。

「平将門は、平安時代中期、

坂東八カ国(現・関東地方)で

大規模な反乱(天慶の乱)を起こし

940年に没しました。

享年は一説に38歳と伝わります。

徳治二年(1307)、

遊行寺二世真教上人が江戸に行脚した折、

将門塚が荒れ果てていたため塚を修復し、

板石塔婆を建てて傍らの

日輪寺において供養したとされます。

その霊は神田明神において祀られ、

神田明神が移転した後も

塚はこの地に残りましたが、

大正十二年(1923)の関東大震災後、

大蔵省再建に際して崩されました。

幾多の変遷の後、

令和三年(2021)に

第六次整備工事として

将門塚保存会などにより現況のように

整備されたものです。」

次に神田明神バージョンを抜粋。

「神田明神のご祭神である

東国の英雄・平将門公の御首を

お祀りしております。

平将門公は、承平天慶年間

(931〜946)に活躍され、

武士の先駆けとして

関東地方の政治改革に尽力され、

弱きを助け強きを挫くその性格から

民衆より篤い信望を受けていました。

今を去ること1075年ほどの昔、

将門公は、下総国にて兵を起こし、

坂東八カ国を平定、

自ら平新皇と称して

政治の革新を図りましたが、

平貞盛と藤原秀郷の奇襲をうけ、

馬上陣頭に戦って憤死しました。

享年38歳。

世にこれを天慶の乱と言います。

その後、

将門公の首級は京都に送られ

獄門に架けられましたが、

三日後白い光を放ち、

東方に飛び去り

武蔵国豊島郡芝崎に落ちました。

大地は鳴動し太陽も光を失って

暗夜のようになったとされ、

村人は恐怖し、塚を築いて埋葬しました。

これが、

この将門塚と語り伝えられています。

その後も度々、

将門公の怨霊が祟りをなすため徳治二年、

時宗二祖真教上人は、

将門公に蓮阿弥陀佛という法号を追贈し、

塚前に板石塔婆を建て、日輪寺にて供養し、

さらに傍らの神田明神に

その霊を合わせ祀ったところ、

ようやく将門公の霊魂も鎮まり、

この地の守護神になったといわれています。

天慶の乱は平安朝の中期に当たり、

京都では藤原氏が政権をほしいままにし、

我が世の春を謳歌していました。

遠い坂東では国々の司が

私欲に走り善政を忘れ、

下僚は収奪に民の膏血をしぼり、

加えて洪水や旱魃が相続き、

人民は食なく衣なく、

その窮状は言語に絶するものでした。

その為、これらの力弱い多くの人々が、

将門公によせた期待と同情とは

極めて大きなものがあり、

今もって関東地方には数多くの伝説と

将門公を祀る神社があります。

このことは将門公が

歴史上朝敵と呼ばれながらも、

実は郷土の勇士であったことの証です。

また天慶の乱は、

武士が台頭する烽火であったと共に、

弱きを助け強きを挫く

江戸っ子の気質へと繋がり、

今日の社会にも

大きな影響を与えています。」

教育委員会のものが、

淡々とした説明であるのに対して、

保存会・神田明神の案内は、

「将門」ではなく「将門公」と記し、

その内容自体も

将門公への熱い思いがぎっしり詰まった、

将門公の生き様がダイレクトに伝わる

愛情たっぷりの文章で綴られています。

ここに二つの案内を設置した人、偉い!

歩道に面して建てられた

「古蹟保存碑」と

「都宮跡将門塚」の石碑。

境内へ。

僕たちがいた15分ほどの間、

ここには老若男女がひっきりなしに

参拝に訪れてていたのには

二人して驚きました。

京都から首が飛んで来ただけあって、

やはり将門塚、只者ではありません!

妻が見つけた玉垣の九曜紋。

将門さんの家紋だったようです。

将門塚の全景。

誰もいない瞬間はこの時だけ(笑)

参拝。

ふっと見ると、

墓石の基壇両サイドには、

カエルちゃんがいるではないですか!

左側のカエルちゃん。

右側のカエルちゃん。

狛犬・・いや狛蛙として、

将門さんを

お守りしてくれているのかな?

多くは新しい墓石の裏側に、

オリジナル、もしくは

古い墓石(墓)があるもので、

将門塚も例外ではありません。

古い墓石に参拝。

そして、足元に注目!

カエルだらけ!!

ネットで調べると、

将門さんの首が、

京都から飛んで帰った故事になぞらえ、

「無事帰る」とか

「左遷されても帰ることが出来る」

みたいな俗説があるようです。

江戸城・大手門

江戸城の大手門が近くだと知って、

ちょっとだけ行ってみることに。

信号を渡ってお濠端へ。

お〜大手門だ〜!

2年近く前に訪問して以来の大手門、

夕日に染まった姿も素晴らしい!

この後は、本日最後の目的地、

東京タワーライトアップへと向かいます。

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください