延暦寺・西塔(常行堂・法華堂)
仏教の一大拠点
比叡山延暦寺は、
日蓮、法然、親鸞、道元など、
教科書に載るような高僧達を
多く輩出していますが、
それは氷山の一角で、
延暦寺をほっつき歩くと、
至るところに
「隠れた偉いお坊様」の
痕跡が残され、
改めて延暦寺が、
仏教の一大拠点である事を
肌で感じます。
箕淵弁財天
浄土院(伝教大師御廟)参拝後は、
一旦、西塔の巡拝受付へ。
ここからは、
箕淵弁財天〜親鸞聖人修行の地
〜常行堂・法華堂〜恵亮堂〜釈迦堂と
巡拝して行きます。
箕淵弁財天の社頭に建つ
「聖光院跡 親鸞上人住待の寺」と
書かれた石碑。
社殿まで行く気力が無かったので(汗)
ここから遥拝。
親鸞聖人ご修行の地
箕淵弁財天から少し行くと、
「親鸞上人ご修行の地」があります。
石段で中へ。
全景。
ここは先ほどの
箕淵弁財天前の石碑にあった
聖光院跡の近隣で、
この跡地の左端には、
こんな石碑もあります。
「真盛上人修学の地」
案内によれば、
ここで20年間修行ののち、
応仁文明の大乱を機に、
社会浄化のため黒谷青龍寺へ
隠棲したと書かれています。
黒谷青龍寺と言えば、
元三大師(慈恵大師良源)の開基と伝わる
法然さん修行の地で、
親鸞さんは、法然さんの弟子。
同じ修行場だったのは、
法然さんの系統の人だったから
かも知れません(あくまでも推測)
常行堂・法華堂(にない堂)
さらに北側に進み、
以前から気になっていた、
常行堂・法華堂へ。
ほぼ同じデザインの二つの建物が
空中の歩廊で繋がっている光景、
なかなか見応えありますね。
手前の常行堂と法華堂(後方)。
常行堂に参拝。
案内を抜粋すると
以下になります。
「隣の法華堂とは
唐破風造の廊下でつながれ、
二つの同形式の堂と廊下の姿から
「にない堂」と呼ばれています。
阿弥陀如来を本尊とする常行堂は、
常行三昧を修する堂で、
外観は蔀戸と板唐戸を用いた
和様のすぐれた建築で、
文禄四年(1595)に
建てられたものです。
昭和三十年(1955)六月に
法華堂と共に国の重要文化財に
指定されました」
法華堂側から二つのお堂を撮影。
法華堂に参拝。
ここで案内を抜粋します。
「普賢菩薩を本尊とする法華堂は、
法華三昧を修する堂で、
文禄四年(1595)に
建てられたものです。」
また、半年ほど前に行った、
日光・輪王寺の法華堂の案内には、
「法華堂は、もともと天台宗の開祖、
伝教大師「最澄」
(767〜822)によって
「半行半坐三昧」という修行を行うため
比叡山に建てられました。
その後、弟子の慈覚大師「円仁」
(794〜864)が
常行堂を併設し歩廊で繋ぎました。」
このように書かれていました。
ここでも円仁さん、
良い仕事していたんですね(笑)
もちろん、今あるものは、
1595年の再建ですから、
信長の比叡山焼き討ちの後、
恐らく豊臣秀吉が
復興した時のものでしょう。
ただ、こうして、
円仁さんの「魂」を残してくれた事には、
感謝しかありませんね。
真ん中が高く設えられた歩廊。
このデザインを見て思い出したのが、
こんなものです。
福岡県と佐賀県に跨る筑後川昇開橋。
こちらは橋の下を船が通るので、
主旨としては同じかも?(笑)
ちなみにこの橋も平成十五年、
国指定重要文化財となっています。
恵亮堂
常行堂と法華堂を繋いだ
歩廊をくぐると
下りの石段が見えてきます。
一番下に見えてるのは、
釈迦堂ですが、
まずは、
すぐ手前左側の恵亮堂へ。
エントランス。
真ん中の燈籠を挟んだ左右両端には
何やら石像物が安置してあるので、
まずはそちらを拝見することに。
お堂向かって左側に建つ、
「円戒国師寿塔」。
案内を抜粋すると
以下になります。
「寿塔とは、
生前あらかじめ造ったお墓です。
この塔は、
円戒国師・慈摂大師真盛上人
(1443〜1495)が、
最初建立された。
上人は西塔南上坊で
二十年間修学されていたが、
十年に及ぶ応仁文明の大乱でおきた
世の惨状を見るに忍びず、
遂に意を決し、
社会浄化に身を挺するために、
三千宗徒との交わりを辞し、
黒谷青龍寺へ隠棲されるが、
その直前に建てられた。
決死の覚悟の表明である。
上人建立の寿塔は、元亀の兵災
(信長の比叡山焼き討ち)で破壊され、
現在の寿塔は、天保十年(1839)の
再建である。」
なるほど、
先ほど修行の地に行った、
真盛上人は円戒国師って
呼ばれていたんですね。
生前に造られた「逆修墓」は、
過去にも参拝してきましたが、
「寿塔」も同義語だとは、
初めて知りました。
中西悟堂の歌碑。
案内には、
「この歌碑は、悟堂が
野鳥・自然保護運動の功績で
文化功労者表彰を
受けたことを記念して、
学友と友人が建てたものです。」
このように書かれています。
案内によると、
中西悟堂さんは、
得度して比叡山で学んだ後、
野鳥研究科に転じ、
詩作、随筆執筆の一方で
「日本野鳥の会」を
創設した珍しい経歴の持ち主です。
恵亮和尚(800〜859)を
本尊として祀る恵亮堂に参拝。
この後は、
釈迦堂へと向かいます。
(続く)