2020/01/09

眼鏡橋(2019年初詣の旅)

 

重要文化財指定のタイミング

眼鏡橋と言えば、

長崎市の眼鏡橋が有名ですし、

僕もそこしか知りませんでした。

ところが、

有名な長崎市の眼鏡橋よりも2年早く、

石橋としては日本最初の、

国の重要文化財に指定されたのが、

同じ長崎県の諫早市の眼鏡橋なのです。

その指定の時期が絶妙で、

もしも、その時期に重要文化財に

指定されていなければ、

僕たちは永久に諫早の眼鏡橋を

知らなかったかも知れないのです。

今から62年前の昭和32年7月25日、

眼鏡橋のかかる本明川は、

大洪水に見舞われ氾濫し、

600人近い犠牲者を出しました・・・

大洪水には耐えたものの

河川の幅を広げて、洪水に強いものにするには、

眼鏡橋は不要なものとされ

爆破してしまえという意見まで出たそうです。

しかし橋を残そうという運動が高まり、

大洪水の翌年に、

国の重要文化財に指定されたのです。

これが、橋を保存する派にとって、

鬼に金棒になったかどうかは

定かではありませんが、

実際には国の許可なく

諫早市が勝手に

「邪魔な橋はぶっ壊す」なんて事は

難しくなったのは事実でしょう。

国も「早く文化財指定しないとやばいぞ!」

な~んて思って、

慌てて指定した?のかも知れません。

その結果、

僕たちは川から公園に移設された眼鏡橋に

お目にかかる事が出来たわけで、

当時、眼鏡橋保存に奔走した方々には、

感謝と敬意しかありません。

眼鏡橋へ

諫早神社から眼鏡橋のある

諫早公園までは川のほとりの遊歩道で、

川伝いに行けます。

諫早神社前の飛び石でポーズをとる妻。

ここから下流に向けて歩きます。

少し歩いて振り返った景色。

人が飛び石を渡る風景って、

何だかほのぼのとして

絵になりますね!

小高い丘みたいな山が、

戦国時代の「高城(たかしろ)」という

諫早氏の居城で、今の諫早公園です。

川岸の堤防あったオブジェ。

トンボの目に本明川の流れが映っています。

そして歩くこと7~8分、諫早公園に到着です。

眼鏡橋は公園の北側、

本明川のすぐ近くにあります。

出会えました!眼鏡橋。

天保十年(1839年)

本明川に架けられ、

その約120年後の1960年に

ここ諫早公園に移設されています。

これを作った技術も凄いものですが、

移設した技術もそれに勝るとも劣らない

素晴らしいものですね。

橋の前には詳しい案内があります。

橋のたもとには、

重要文化財の石碑があります。

何枚写真を撮っても飽きません(笑)

川幅の関係もデザインには

大いに影響したのでしょうが、

この眼鏡橋よりも約200年ほど古い、

長崎市の眼鏡橋とくらべると

かなりスマートで近代的な感じがしますね。

橋は今も人の通行が出来ます。

少し行くとこんな感じ。

橋の頂点からの景色。

ここでも思うのは、

やはり移設した技術の凄さです。

石畳のズレなどは皆無ですし、

だからこそ今も僕たちは

通行が出来るのでしょう。

ミニ眼鏡橋

眼鏡橋から少し東に行くと、

こんな風景があります。

ここを起点として、

川の流れのように水流が下ります。

そして、その先にあるものは・・・

ミニチュアの眼鏡橋です!

どう見ても先程見たり、

歩いたりした眼鏡橋と同じ形です。

このミニ眼鏡橋の案内を抜粋します。

「眼鏡橋を、諫早公園に移設復元する為に、

橋の組み立て方や強度など

技術的なデータを収集する目的で精巧に

五分の一の縮尺で造られたもので

長さ10m、幅1.1mです」

いやはや脱帽するしかありません。

国指定重要文化財の橋を移設する

使命感と情熱とがビシビシ伝わってきます。

擬宝珠も完コピですね(笑)

ミニと本物眼鏡橋のコラボ。

しかしこの橋は一旦、埼玉県の

ユネスコ村に譲渡されていて、

そこが2006年、閉園になり

荒廃していた石橋を

地元の方々が里帰りに尽力され、

数年前、ここに設置されたものです。

こんな経緯も含めて、このミニ眼鏡橋は、

後世に語り継ぎたい

一大プロジェクトです。

プロジェクトと言えば、

昔、NHKで放送されていた

プロジェクトXで取り上げられたのかな?

そうでなければ是非、

特番を作って欲しいものです。

テーマ曲はもちろん

中島みゆきの地上の星で!

諫早大水害の記憶

諫早公園の東側の川のそばには、

「本明川洪水痕跡標」という

石碑が建てられた小さな広場があります。

石碑の右側が本明川で、

左が諫早公園です。

広場の全景。

諫早大水害の紹介。

写真を見ても文章を読んでも、

ただただ、祈るしかありません・・・。

またここで、諫早の洪水を知った僕は、

今の諫早の水害対策にも

興味を持つようになりました。

少し調べてみると

門を開けるか閉めたままにするかで

裁判にまでなっている

諫早湾干拓事業もこのような水害を

食い止めるための一環であるようです。

何だか「ギロチン」のような閉門風景を

何度もテレビで見せられていた僕は、

閉門は間違っていたかのような

印象を受けていました・・・

マスコミの流す事だけ聞くのと

現地に足を運ぶのとでは、

同じ事を見ても全く感じ方は

変わってきますね。

「いのり」の像。

まさにこんな心境になります・・・

また、諫早公園内にも

「諫早大水害復興記念碑」が

建てられて、往時の記憶をとどめています。

昭和32年7月25日は

諫早市民にとって、

特別な日であることでしょう。

隣の観音像。

自然災害を乗り越えるしかない日本、

いや地球です・・・

尊い命を思い合掌。

もう一つの石橋

眼鏡橋の真ん前にあるのが、

こんな案内です。

「くじらばし」

江戸時代の安政三年(1856年)

建立の橋です。

医者だった土橋貞恵という方が、

現在の市役所と

北島医院病院の間に架けた橋で、

その後二度ほど移設され

この場所にあるそうです。

くじら橋の名前の由来は、

本明川を遊泳していたくじらが

市役所近くに迷いこんで来たことではないか

と書かれていました。

 

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