福岡城ピクニック・多聞櫓
多聞櫓
一般的に石垣に沿っって
長く伸びた櫓を
「多聞櫓」と呼んでいます。
何故、「多聞」と付くのかは、
諸説ありますが、
その有力な一つが、
松永久秀が大和国(奈良県)に築いた
多聞山城(多門城)の
名前が由来というものです。
多聞山城は、
安土城に先駆けて、
天守が建てられ、(異論もあり)
多聞櫓も存在した可能性もあり、
また、
織田信長が、正倉院に保管された香木、
蘭奢待を切り取らせた場所としても
歴史的価値の高いお城ですが、
遺構の多くは破却され
現在は若草中学校の敷地となっています。
こちらは、
多聞山城訪問時に購入した、
元若草中学校教諭の方を中心に
「多聞城ファン倶楽部」の方々により
編集された中身の濃い冊子ですが、
福岡城ピクニック主催のK氏ならば、
「福岡城と黒田官兵衛」とか、
「黒田官兵衛と長政の秘密」など、
楽しくて為になる冊子制作は、
お手のものかと思ったりもしています。
それを福岡市の予算で、
冊子&デジタルコンテンツとして購入し、
福岡城やネットで配布&K氏のツアー開催など
福岡城の魅力をさらに引き出せれば、
K氏と福岡市が、
win-winの関係になれるんじゃないかと
勝手に妄想が暴走しています(笑)
多聞櫓から話が飛んでしまいましたが、
新年の初夢ということで、
悪しからずご了承のほどを(笑)
内覧
下之橋御門からテクテク歩き、
松の木坂を登り、
天守台近くを過ぎると
突き当たりに冠木門が見えてきます。
野面積みの石垣と冠木門
そして、
先頭を行くK氏の後ろ姿。
特別公開の告知。
やっぱ長いな〜多聞櫓。
こちらは曲輪側なので、
石垣の上に建っているというのが、
ちょと想像できませんね。
「多聞櫓」
「築城時からある櫓で、
嘉永6年(1853)に
大きな改築を行い
現在の姿になりました。
内部は16の部屋に分かれ、
石垣側には鉄砲狭間や石落としなどの
防御施設が備わっています。」
このように記されています。
櫓の前で解説するK氏。
明治時代の一時期、
女学校の校舎として
使われていたなど、
レア情報を話されていました。
多聞櫓での勉強ならば、
僕もやる気がしたかも?(笑)
ご一行様は中へ(P氏撮影)
鉄砲狭間からの射撃、
こりゃテンション上がるわ〜(笑)
16に分かれた部屋は、
ちゃんと番号が振ってあります。
鉄砲狭間と石落としのコラボ。
石落としには、
石落とし係もいます。
鉄砲狭間を見つけると、
条件反射的にこのポーズをする妻。
前世は足軽鉄砲隊だったかも?(笑)
明かり取りなのか、
監視するためか、
突上戸(つきあげど)もあります。
天井を見上げてみると
嘉永六年と書かれた棟札が、
しっかりと貼られていますね!
そして視線を下に落とすと・・
福岡城に使用された瓦たち。
ここで案内係の方が、
「黒田家の家紋入りですが、
一つだけ違う家紋になっています。」
そう言われたので見てみると・・
左端は小早川隆景の家紋、
左三つ巴ですね!
案内係の方曰く、
「これでこの瓦は、
名島城から持ってきた事が、
分かりました」
続けて、
「養子の小早川秀秋は、
別の家紋を使われていたみたいですが」
こう言われて、僕も妻も大興奮(笑)
秀秋さんの家紋と言えば「違い鎌」。
関ケ原で着ていたかも知れない、
家紋入りの陣羽織、
めっちゃカッコいいですからね!
「猩々緋羅紗地違い鎌模様陣羽織」
(東京国立博物館所蔵)
国指定重要文化財になっていますので、
恐らく本人のものでしょう。
まさか、福岡城の多聞櫓で、
秀秋さんの陣羽織を思い出すとは、
多聞櫓、グッジョブ(笑)
福岡城ピクニック、
もう、たまらんですよ!
石垣下からの外観
ここからは、
福岡城ピクニックから40日ほど後、
12月18日に撮影したものになります。
「樹木所」
「このエリアは城の搦手に相当し、
敵からの来襲を防ぐことを
主眼においた場所です。
そのため、このエリアと
頭上の多聞櫓の二段構えで
城内に侵入する敵軍を襲撃できる
構造になっていました。
戦の絶えた江戸時代、
ここでは椿などの植物を育てており、
樹木所と呼ばれるようになります。」
このように記されています。
CG写真。
石垣&多聞櫓、
やはり壮観ですね!
長〜い多聞櫓、
全景は動画でしか表現不可能(笑)
下段の曲輪からも撮影。
ここからだと、
二重の石垣に守られている事が
よく分かります。
南側の櫓下。
妻との比較で石垣の高さを実感。
石垣に使われた石が小さいので、
ここは名島城か立花山城からの
転用かも知れませんね。
追廻門
せっかくなので、
多聞櫓から南に下り、
K氏が説明されていた
搦手側の追廻門まで
足を伸ばしてみました。
今は堀の一部が残っている場所で、
江戸時代、
東西にまたがり架けられていた橋は、
南北方向に架け替えられていますので、
当時の姿ではありませんが、
雰囲気を味わうならばOKでしょう。
ここから再度、多聞櫓方面へ。
かつての堀の一部。
まるで「池の主」のようなサギちゃんが、
僕たちの侵入を監視しています(笑)
再び多聞櫓の手前まで歩き、
再調査(笑)は完了。
この後、
福岡城ピクニックご一行様は
天守南側の石垣、
そして天守台へと向かいます。
(続く)
Comment
多聞南隅櫓を見上げる位置、画角!
K氏は福岡城、最良・最上の景色、極致だ!常々、もうしております。
源能直様
確かにそうですね!
素晴らしいと思います!