2017/12/28
萩城の旅(山口県萩市)後編
萩城という地元の誇り
僕は今年の初めまでは、
お城=天守(天守閣)だと思っていました。
高くそびえる立派な天守こそお城の象徴で、
「お城」そのものであり
天守が無くて、石垣だけが残っているのは
「ただの城跡」で、
「あ〜無くなったのか〜天守」みたいに
残念な気持ちになり
そこを訪問する興味もありませんでした。
しかし何度も書いていますが、
たまたま見つけた
お城訪問を記録するサイト「攻城団」に
入団(登録は無料)してからは
その考えが180度変わりました。
お城は見るだけだと思っていたのが、
お城に行くとそのお城だけにある
唯一無二なストーリーがある
ということを知ったからです。
前編で書いたように
毛利輝元が萩城を作った
いきさつなどを知ると
「そうか〜萩城が無かったら
城下町も無いし世界遺産にも
なっていなかったんだ〜」
「毛利輝元、関ヶ原で負けても
良かったな〜!」なんて思いもして、
そんな歴史を知ったなら
地元の方々の萩城への愛着も
さらにわくのでは?
なんてお城初心者の僕は
勝手に考えています(笑)
萩城本丸へ
いきなり萩城入り口から天守台が見えます。
(左奥の盛り上がった石垣)
素晴らしい石垣にしばしうっとり(笑)
堀を渡る橋の左には「萩城跡」
右には「志都岐神社」の石碑。
橋を渡った正面に関所(笑)があり、
ここで入園料を支払い、
無料タブレットを借りました。
僕はタブレットと言えば、
佐賀県の名護屋(なごや)城が
提供しているバーチャル名護屋城や
まだブログに書いていない
福井県の一乗谷(いちじょうだに)城の
タブレットを想像していました。
しかし、入園券を販売している方が
「このタブレットには期待しないでね」
みたいなことを
申し訳無さそうに言いながら
貸し出してくれたのが、気になって
入場後すぐに使ってみたら
販売員の方のお言葉通りでした…(笑)
名護屋城や一乗谷城の
VR(バーチャルリアリティー)満載の
タブレットがあまりにも凄すぎたので
なおさらでした。
資金面の問題をクリアするのが
大き課題でしょうが、
石垣、天守台など「遺構満載」の萩城と
「VR満載」のタブレットは
相性バッチリだと思いますよ!
萩城の管理者の方、
名護屋城のように無料とは言いませんので、
500円程度までで準備して貰えれば
再度萩城に行った時借ります!(笑)
天守台横の土塀石垣
土塀があったところに登って撮影した天守台
天守台横から
明治初期、取り壊される前の写真と
案内がありました。
それにしてもせっかく明治まで
生き残った貴重な天守なのにもったいない!
江戸城、大阪城(江戸時代建立のもの)
はじめ
戦国末期から江戸時代初期に作られた天守は
地震や火事で焼失しているものが多く、
特に大阪城のように落雷が原因で
火事というパターンが目につきます。
(江戸城は「振袖火事」とも言われる
明暦の大火で焼失後再建されず)
耐震基準も避雷針も無かったころ
270年ほど地震にも落雷にも耐えて来た
萩城なのに
時代の流れには耐えられなかったのですね…
天守登城口
この石段を毛利輝元公も
歩いたんだな〜なんて想像力もたくましく
僕たちも同じ石段を
感慨深く登って行きました。
天守跡。
あの大きな天守(天守閣)を
支えていたであろう礎石が残っていて、
往時を偲ばせてくれます。
てんしゅでてんしょん上がって
ツーショット(笑)
周囲の石垣や堀の風景も
素晴らしいものです!
見どころ、撮影どころも多過ぎて
本当に困ります(笑)
ようやく天守台から離れて次の場所へ。
天守西側からの風景
このあたりからの風景も壮観です。
堀を挟んだ天守台
僕はこの景色に
心を奪われてしまいましたが、
妻は歩き疲れて
木陰で休んでおりました(笑)
角度は違いますが、
ここでタブレットの写真を見てみました。
タブレットを遺跡にかざせば
昔の姿がそのまま映し出されるという
名護屋城や一乗谷城のものとは
違いますので、臨場感はありませんが、
借りたものはとにかく使わないと
勿体ないという貧乏性の僕です(笑)
ここからは西の海側へ歩きます。
岡崎矢倉跡
ここを左に曲がって行くと、
いくつかの遺構があります。
二つのお寺跡を目指します。
この道も石垣がしっかり残っていて、
武士達が歩いたであろう道を
たどって歩けるのが嬉しいですね!
右に曲がって洞春寺(とうしゅんじ)跡に
向かいます。
説明書きによるとここは
毛利元就(もうりもとなり)の菩提寺で、
毛利家の萩転封にともない
1606年広島からこの地に移され
1863年山口に移されたあとこの建物は
1869年山崩れで破壊されたそうです。
役目を終えたので、
自ら幕を引いたような洞春寺でした…
そしてもう一つのお寺跡へ
相変わらずの石垣に僕の心は軽く、
足はちょっと重く、
妻の足は石のように重く(笑)
妙玖寺(みょうきゅうじ)を目指します。
このあたりがお寺の跡で、案内によると
毛利元就の正室、
妙玖(みょうきゅう)の菩提寺で、
1869年万年寺に合併され
廃寺になったそうです。
だから、
妙玖寺という名前なんだ〜っと納得。
そして、
この案内板を見つけたので行ってみました。
ここが兵曹跡で、
今では「展望台」になっていますが、
礎石は残っていて往時を偲ばせます。
そして、遠くに目をやると
うわ〜!これは絶景だぁ〜!
すんばらしい景色に
足の疲れも吹っ飛び…ます?(笑)
ここは萩城の背後にある
指月山の海岸線です。
いや〜ここにこんな景色があるなんて、
萩城、どこまでも僕らを
驚かせてくれるな〜!大好き(笑)
反対の景色はこちら。
澄んだ水が綺麗ですね!
感動の渦に巻き込まれながら、
元の道をたどって、本丸方面へ。
途中にこんな案内板がありまひた。
「詰丸跡」
山頂まで730mの表示に僕たちの足は
「行きたくないよ〜」
「もう疲れまくったよ〜」
との意思表示(汗)
結局登らなかったのですが、
後日この山上の遺構を画像で見てビックリ。
石垣など素晴らしいものがあったのです!
これはまた萩城に来いという
毛利さんからのお誘いだと思い、
次回は山頂を目指すことが
決定しました(笑)
次に行ったのが、庭園
ここは裏口?
庭園です。
この庭園自体の案内は
見つけられなかったので、
いつ出来たかは分かりません。
以前は池があったような感じです。
そして、こちらが正面のようでした。
案内によるとここは
花江茶亭(はなのえちゃてい)といって
1854年ごろ
13代藩主毛利敬親(もうりたかちか)が
三の丸にあった花江御殿に作った茶室で、
その後、この指月公園に移転したそうです。
萩城散策の感想
萩城全域で癒されまくったので、
「今日の癒し」に代わり
萩城の感想を少しだけ。
萩城の本丸、
その周辺を散策して来ましたが、
詰丸のようにまだまだ行きたい場所や、
見逃した遺構もたくさんあります。
そして、何より素晴らしいのが
この立地ですね。
海あり、山あり、草むらあり、展望台あり、
三拍子も四拍子も揃っている萩城は
実に素晴しいですよ!