筥崎宮(福岡市)令和6年3月 後編
近いから行かない?
筥崎宮の参拝は、
正直「所用のついで」(汗)でした。
地下鉄の箱崎宮前駅を出ると、
そこは筥崎宮の参道で、
予定した時間までに余裕があったので
「参拝しておくか」
そんなノリでの参拝です。
近いからいつでも行ける・・
そう思うといつも行かない(笑)
ついででも
神様は寛大ですから(多分)
喜んでいただけたはず・・かな?(笑)
木造亀山上皇御神像
肥前鳥居と敵国降伏の楼門、
本殿を巡った僕たちが
次に目指すのは、
「敵国降伏」の御宸筆の主、
亀山上皇の御神像です。
亀山上皇の御神像を安置する奉安殿。
大きさ比較のため、妻登場(笑)
やはりデカイ!
案内。
かい摘むと
以下になります。
「亀山上皇は、第九十代として
即位された鎌倉時代の天皇です。
元寇に際して
「身を以て国難に代わらん」と、
全国の社寺に国家の安泰を祈願されました。
ここに奉安する木彫ご尊像は、
亀山上皇の御姿を彫刻として表したもので、
博多区の東公園に立つ銅像の原型として
明治時代に制作されました。」
僕は東公園に立つ
亀山上皇の銅像は知っていましたが、
その意味は知りませんでした(汗)
元寇という国難を
神様も天皇も武士も庶民も
皆一致協力して乗り切った先人達の努力、
今こそ思い起こす時かも知れません。
高さ6mほどの木像に参拝。
唐船塔
今回参拝して
初めて知ったのが「唐船塔」です。
ただし、
そこへ行く前に、
最重要なミッションを
済まさなければなりません・・
小早川隆景寄進の楼門前で
ツーショット。
これで
「最重要なミッション」完了(笑)
唐船塔。
黒田長政寄進の肥前鳥居横、
手入れが行き届いた
「庭園」みたいな一角です。
案内を要約すると
「捕虜として
日本に連れてこられた唐人が、
筥崎宮の宮司に仕え、
日本人妻との間に2人の子をなし、
その後、
唐から子供2人が父を迎えにきて、
日本で生まれた2人の子も連れて唐に帰った。
唐から来た子は父が死んでいたら
建てようと唐から
供養塔を持ってきていた。
その塔が今ここに立つ唐船塔である。
また手前の二つの石は、
日本人妻との別れの際、
二人が座った石で、
「夫婦石」と云われる」
このようになります。
現地妻というのは、
今も昔も変わらず、
悲しい思いをするものです・・
高燈籠
参道を歩き国道三号線近くまで移動。
以前、巨大な肥前鳥居が
建っていた場所近くに
高燈籠はあります。
案内。
「箱崎浦の漁師達が帰船の目印として、
文化十四年(1817)に
建てたのが最初で、
以前はここまでが海でした。
現在の石燈籠は昭和四十三年に
改築されたものです。」
要約するとこのようになります。
高さ6mを実感するため、
比較のために妻登場。
石垣の角は
何気に算木積み的なんですね!
高燈籠横の石碑。
一番右が最近建立された
明石元治二郎顕彰碑。
日露戦争では欧州での諜報活動と
ロシア革命など後方撹乱で活躍し
勝利の「影の立役者」的な人だとは
以前から知っていましたが、
福岡生まれで、台湾でも大活躍し、
お墓までが台湾にあるとは、
この顕彰碑なくしては
知らなかった事。
顕彰碑、グッジョブです(笑)
お潮井浜
最後にお潮井浜へ・・
というか
立ち入り禁止なので遠望になりますが。
石燈籠から国道3号線を横断し浜へ。
柵の手前からの景色。
ズームでお潮井浜を撮影。
海上の都市高速が景観を損ねている・・
と思うのは早計、
実は都市高速の効能もあるのですよ!
こちらは海側から見たお潮井浜。
以前、太宰府の坂本八幡宮に
参拝する時に都市高速を走る
バスから撮影したものです。
ドローンが無しに
こんな空撮?が可能だなんて、
都市高速の効能素晴らしい
じゃないですか!(笑)