白山神社(新潟市)後編

 

白山公園

白山公園は、

白山神社の境内地の半分ほどを

公園化したもので、

新潟の旅では、

長岡市の蒼柴あおし神社の悠久山公園に続く、

二つ目の、

「元神社境内地の公園」です。

神社・公園全体図。

持ち時間が少ないので、

真ん中のハス池から、

美由岐賀岡、ひょうたん池、

そして、

神社前の駐車場へと戻る

コンパクトなルートで散策してみました。

ハス池

ハスの花の季節ではないので、

あまり興味がなかったものの

案内を見て

俄然テンションが上がったのです!

その案内とは・・・

「中尊寺 奇跡のハス」

なんじゃ?これは!

そう思いつつ案内を確認。

「奇跡のハスとは、

岩手県平泉町の世界遺産・

中尊寺金色堂に安置されている

奥州藤原氏4代目泰衡(やすひら)の

供養の品のひとつとして発見された

ハスの種子を平成10年

(1998)に甦らせたものです。

白山神社は、中尊寺の境内にも

白山神社がある縁で以前から交流があり、

平成29年(2017)3月25日、

白山開山1300年を迎えるのを記念し

中尊寺から4時間かけて

届けられた10株のハスが、

敷地の池に植えられました。」

なんか凄いハスに出会ったもんだ!(笑)

僕たちは三年前、

佐賀県の新北(にきた)神社で、

2千年前のハスと出会っていますが、

こちらの800年前のハスは

「藤原泰衡の供養の品」ですから

その意味合いもまた

深〜いものがあります。

しかも妻は中尊寺に行きたいと

以前から言っていましたし(笑)

太鼓橋を渡り散策路へ。

美しいハス池。

獅子山

ハス池北側には、

獅子山という

神社だった頃の

狛犬が集められている小山があります。

エントランスの古い狛犬。

由来。

獅子山から見たハス池。

終点。

訪問した令和5年は、

白山公園ができて150周年記念の年で、

至る所に公園の歴史が

紹介されています。

最初は「島(中洲)」だったのが、

今では都会の真ん中ですね。

忠犬タマ公

冒頭に書いた長岡市の蒼柴あおし神社とは、

何故か「忠犬」繋がりもあるんです(笑)

忠犬タマ公像。

「忠犬タマ公について」

案内を抜粋すると

以下になります。

「銅像の主「忠犬タマ公」は、

純日本種の芝犬で、

中蒲原郡川内村(現在の村松町)

刈田吉太郎さんの飼犬であった。

昭和9年2月5日刈田さんが

雪崩で遭難した時、

タマ公はこれを救い出し、

時の県知事からおほめをあずかった。

さらに、昭和11年1月10日

雪崩の下敷きになった

刈田さん他3名を救い出した。

この2回にわたる働きは、

当時、新聞やラジオで世人に伝えられ、

忠犬美談の花を咲かせた。」

「児童教育の一端として

昭和12年銅像が建てられるも

戦争中、金属供出され、

その後、昭和34年4月10日、

皇太子御成婚を記念して再建された。」

飼い主のタマへの深い愛情が

あったからこそ

二度も命を救われることに

なったのでしょう。

人智を超えた何かを感じます。

角度を変えて撮影。

蒼柴あおし神社の「忠犬しろ」。

こちらはもはや

「神」となられております。

美由岐賀岡みゆきがおか

次に白山公園、

もう一つの山、美由岐賀岡へ。

ここを登り切って

最初にお目にかかれるのが、

こちらの方です。

「白山公園創設者 楠本正隆像」

以下案内の抜粋です。

「楠本正隆は天保九年(1838)

肥前大村藩(長崎県大村市)の

上士として生まれました。

明治五年(1872)新潟県令となり、

明治六年「越の千本松原」といわれた

この地に、太政官布達による

わが国最初の公園として、

オランダ風の回遊式庭園である

新潟遊園(白山公園)を創設しました。」

これに続き、彼が新潟で残した功績が

多く書かれています。

戊辰戦争で荒廃した新潟を

再生させるべく、

粉骨砕身した方なのでしょう。

そして、

肥前大村藩と言えば、

以前訪問した玖島城で見た、

こちらの像を思い出します。

「少年鼓手 浜田謹吾」像。

戊辰戦争の時、

新潟県よりもさらに北、

秋田県角館に派遣された、

350人の大村藩士の中の一人で、

当時15歳少年だった彼は、

先頭に立ち太鼓で

みんなの志気を鼓舞したものの戦死。

これはその顕彰の銅像です。

もしかしたら、秋田に向かう途中、

ここ新潟を進軍したのかも知れません・・・

白山公園の完成は、

戊辰戦争の傷を癒す意味でも

貴重なものだったと感じます。

こちらは山麓に安置された

長崎県大村市にある

楠本正隆の生家の庭で使われてきた水鉢で、

同家の御好意により

新潟市に寄贈されています。

美由岐賀岡碑。

以下、案内です。

「明治十一年(1878)、

明治天皇が御巡幸の折り

ここで御休憩になり、

信濃川や弥彦山を眺望されました。

これを記念して美由岐賀岡と

名づけられました。

この碑は、

明治四十五年に建てられました。」

「昭和天皇御手植えの松」

大正五年(1916)

皇太子時代にここに来られ、

往時を偲ばれた時に

植えられた松ですから、

樹齢は100年以上です。

「新潟遊園碑」

「秋月種樹(たねたつ)」とあるので、

宮崎県、高鍋藩の殿様かと思って

調べるとやはりそうでした。

めっちゃ聡明な人だったと

Wikipediaさんは言ってます(笑)

碑文が全文書き出されていますが、

長いので、超訳します。

「ひとびとの努力で、

新潟の発展があれば

全国に波及し、

素晴らしい国になれる」

こんな感じかな?

ひょうたん池

山を下りて、

公園のシンボル的存在、

ひょうたん池へ。

大正時代の

ひょうたん池の写真もあります。

綺麗な水と上品な噴水。

この景色、心洗われますな〜!

駐車場へ

白山公園散策を終え、

白山神社の

駐車場へと戻ります。

「戊辰の松」

戊辰戦争の弾痕が残った

「戊辰の松」は、

すでに枯れてありませんが、

その跡に新たな松が植えられています。

そして、この瞬間、

妻が空を見上げて雄叫びを!

「コードブルーだ〜!」

妻の指差した先には・・

お〜確かに!

ドクターヘリですね。

思わず

ミスチルのHANABIのフレーズが

頭をよぎります(笑)

並べられた古い狛犬。

こちらも公園造成で

移転されたものでしょう。

最後に筆塚に参拝。

ここまでで、

白山神社の参拝は完了し、

次なる目的地、

宇品丸慰霊塔へと向かいます。

 

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