浜松城(静岡県浜松市)中編
稲荷神社と富士見櫓
城巡りをしていて、
よく見かけるのが小さな稲荷神社です。
城主と言えど、心の拠り所は大切、
規模は違いますが、
家の神棚みたいなものでしょうか(笑)
また、
関東周辺のお城に多いのが、
「富士見櫓」で、
ここ浜松城にもあります。
富士山は、「霊峰」と呼ばれ、
信仰の山でもありますから、
こちらもやはり富士山を見て、
心身の安らぎを得たのでしょう。
富士見櫓
「若き日の徳川家康公の銅像」から
石段で登ると、
本丸の北東に位置する
「富士見櫓」があります。
富士見櫓。
案内を要約すると
以下になります。
「発掘調査で櫓の礎石が見つかり、
その北側には玉石が敷かれていたことが
明らかになった。
富士見櫓は、
京間(1.97m)を用いた
御殿風の建物とみられ、名称のとおり、
富士山への眺望を意識して
建てられたと考えられる。
桔梗門の家紋瓦が多く出土しており、
太田氏が城主だった17世紀後半には
既に存在していたとみられる。」
富士見櫓は平和な時代になり、
風流を楽しむための櫓であることが
良くわかります。
太田氏は江戸城を造り、
風呂場で殺された太田道灌の子孫です。
徳川家の譜代大名で、浜松藩の次には、
掛川藩に転封となり明治維新を迎えています。
富士見櫓復元想定図。
「富士山の眺望」の写真があるので、
「こんな風に見えるんだ・・」と確認。
ところが・・・
僕たちは翌日、実物を見る事が
出来たのです!
人生、色々ありますよ(笑)
天守門
次は復元された天守門へ。
富士見櫓を背にして天守、天守門を撮影。
天守門近影。
天守門右側の鏡石。
妻と大きさを比較するも
そんなに大きくないような?(笑)
天守門を内側(天守側)から撮影。
案内を要約すると
以下になります。
「天守は江戸時代初期に喪失していたが、
天守門は、
幕末まで維持されていたと見られる。
櫓門という形式で、
両脇が石垣上にのびる渡櫓は、
石垣を多用した西日本の城に多く見られる。」
石垣の多用・・・
やはり最初の天守門は、
堀尾吉晴さんが造ったのでしょう。
天守
次に天守へ。
天守曲輪。
案内を要約すると
以下になります。
「浜松城の天守台周辺には、
本丸とは別に天守曲輪と呼ばれる
区画が築かれている。
天守曲輪は掛川城、
和歌山城等にも見られるが、
類例は決して多くはない。
掛川城は浜松城第二代城主
堀尾吉晴の同輩である山内一豊が、
和歌山城は豊臣秀長がそれぞれ築いており、
豊臣秀吉と深く関わる遺構といえる。」
天守曲輪の石塁と土塀。
堀尾さん時代は、
高く積まれた石塁も
江戸時代は埋められて、
防御という思想が、
薄くなっているようです。
平和だからOKでしょう(笑)
新たに発見された櫓。
「2018年の調査で、
堀尾氏在城期に造られた、
天守曲輪南東角に
櫓跡が発見され、
瓦などが多く出土された。」
このように書かれています。
復興天守は、
天守台石垣に対して
3分の2の大きさで造られています。
案内によると、
「天守台は一辺21mの
ややいびつな四角形をしていて、
西側に八幡台と呼ばれる突出部が付き、
東側には、
付櫓と呼ばれる張り出し部分があり、
現在は復興天守閣への
入口として利用されている。」
このように書かれています。
松江城入口の付櫓と
共通しているのが興味深いですね。
顔出しパネル。
雨の中でもやってみました(笑)
搦手門
天守曲輪の裏側、
搦手門へ。
遠景。
近影。
稲荷神社
天守門近くに鎮座するのが、
白龍神伏見太郎稲荷です。
天守門横の石塁を見ながら
お稲荷さんへ。
参拝。
お稲荷さんから見た天守、
なかなか格好いいですね!
幸せの青い鳥
妻は鳥が気になる人(笑)
富士見櫓から天守門に
向かう途中発見した青い鳥。
僕たちにとって、
「幸せの青い鳥」だった事を知ったのは、
翌朝のことでした!
(続く)