羽豆岬玉姫様(愛知県南知多町)

 

訪問地の追加

知多半島の中でも主に戦争遺跡を巡る旅、

当初、羽豆はず岬への訪問は視野に入らず、

中之院で92体の軍人像を参拝後は、

Uターンして北に向かう予定でした。

しかし翌日は、渥美半島の突端、

伊良湖いらご岬に行く予定にしていて、

それならば、

対岸の知多半島も突端まで行き、

「どちらも制覇した」という

欲望に駆られてしまい、

「やっぱ、行ってみよう」

となったわけですが、

やはり行けば行ったで、

大いに楽しめるもの、

今は自分の欲望に負けて、

大正解でした(笑)

宗良親王御詠歌碑

「むすび亭」の美味しい食事で

お腹も心も(笑)落ち着き、

さらに地元産「たこせんべい」も購入、

身も心も満たされて、

羽豆神社(羽豆崎城跡)へと向かいます。

羽豆神社の赤い鳥居と

石油タンカーが見える風景。

この鳥居をくぐると

すぐ左に建っているのが、

宗良親王御詠歌碑です。

大正二年九月十四日の建立で、

建設したのは地元出身の方です。

以下、案内の抜粋です。

「碑面にある

「山路よりけふは いそべの里にきて

うらめづらしき たびごろもかな」

これは南北朝時代の後醍醐天皇の皇子

宗良親王が、美濃路よりこの

羽豆城を訪れた時の御詠が

刻まれています。」

後醍醐天皇の皇子達は、

日本各地に南朝方として派遣され、

それぞれ活躍したり、

悲劇の最後だったりと、

多くのエピソードを残されていますが、

この方も苦難の道だったようです・・

羽豆岬玉姫様

鳥居を潜って右側へ行けば羽豆神社ですが、

先に左側の境内社、

「羽豆岬玉姫様」へと向かいます。

エントランス。

「羽豆岬玉姫様」

健稲種命たていなたてのみこと(羽豆神社祭神)

日本武尊やまとたけるのみことに従い

水軍を指揮して出征する直前、

妻の玉姫と師崎に住み、

風光明媚な羽豆岬を

毎日のように散策しました。

やがて健稲種命が出陣すると、

玉姫は夫の帰りをこの浦でずっと

待っていました。

いつしか人は、

玉姫が夫の帰りを待ち望んだこの浦を

「待合浦」と呼び、

玉姫を祀る祠が安置されています。」

Wikipediaによれば、

健稲種命は東征の帰りがけ、

船から海に落ちて亡くなり、

この岬には戻って来ていません・・

「待合浦」という名前は、

そんな悲恋の歴史も

伝えているのでしょう。

また、健稲種命の妹は、

日本武尊が東征から帰って

結婚した宮簀媛(みやすびめ)で、

日本武尊もその直後、

伊吹山で傷つき、

その後亡くなっています。

日本武尊には常に、

勇猛な逸話と悲話とが同居しています・・

父である景行天皇への

強い思い(抗いも含む)が、

双方向に向いてしまった

結果のような気がします。

石がごろごろした参道。

玉姫様に参拝。

妻の発見

玉姫様から下って海を見た時、

妻が一言、

「オットセイみたい!」

お〜!

これは・・間違いなく

オットセイ(アシカ?)ですね!

木片を見た瞬間に気が付く妻、

素晴らしい目をしています(笑)

 

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