廣峯神社(兵庫県姫路市)後編
名前から想像出来ない木
廣峯神社境内東隅の御神木には、
このような案内が掲げられています。
「霊木の由来」
「息吹木(いぶき)
昔より之を千年松と云う。
其幾千百年を経るを知らず。
年は幾度過ぎ経しも、
人の言うは変わることなく幾年たてども、
今も昔も千年松と称するなり。
伝説久しく人の心にしみわたるが故に
千年松と云えば、
この地の地名ともなれり。(後略)」
このように書かれている通り、
廣峯神社には、息吹木なのに
「松」と云われる霊木があるのです。
名前と実際の「物」が違うのは、
鳥で言えば、
ブッポウソウとコノハズクの関係と一緒です。
(ブッポウソウと鳴くからブッポウソウと
名前が付けられていた鳥なのに、
実際にブッポウソウと鳴いていたのは、
フクロウの仲間であるコノハズクという
全く違う鳥で、
実際のブッポウソウの鳴声は
「ゲッゲッゲッ」だったと
解明された後も、
ブッポウソウの名前のまま
正式名称となっているというお話)
千年松
境内の地図で、「千年松」を見つけ、
御神木ならば参拝しようと
当たり前に「松の木」を探しました。
が、
冒頭に書いた通り、
それは息吹木だったのです。
立派な玉垣に守られた千年松。
ただ、ここには
「息吹木」と書かれていますね。
千年松の全体像。
間違いなく立派な「いぶき」です(笑)
千年松(いぶき)の目通付近。
歴史を感じさせる、
存在感抜群の幹ぶりですね。
力石
千年松のお隣にあるのが、力石です。
記念碑の碑文を抜粋すると
「碑前に置かれてある力石は、
米一石四斗(約210kg)
の重量をもつ自然石であるが、
この石は、当山麓、北平野町住人で、
関取平野川儀蔵氏が、
明治二十七年五月かつぎ上げ、
当廣峯神社に奉納したものである。
続いて、仁豊野の住人
尾田徳次氏(当時二十六才)が
大正八年四月十八日怪力を発揮して、
この石を念願通り頭上高く持ち上げた。
(その後成功者無し)」
このように書かれています。
力石が置かれた神社は多いですが、
ここまで詳しく案内されている力石は
珍しいのではないでしょうか。
右側の石の文字はよく分かりません。
左側の石は、
「奉納 力石
明治二十七年五月
北平野村 平野川儀蔵」
と、完璧(笑)。
天祖社(あまさいしゃ)
廣峯神社のフィナーレを飾るのは、
拝殿右側に置かれた神輿に関わる
天祖社への参拝です。
「この神輿は享保二年
(1717)の作で、
九月には天祖社への
御幸の神事がありました。
残念ながら現在は途絶えています。」
神輿の案内を読んだ時、
これは行かなきゃ!
そう感じたので、
体力低下は否めないものの
最後の気力を振り絞り、
一旦山を下って、また登るという
無謀な行動に出たのです(笑)
随神門前から見た姫路市の風景。
ここから参道の起点、
駐車場近くの一の鳥居まで戻って、
そこからまた山登りとなります。
ここから昔の参道で天祖神社へ。
御神燈に癒やされさらに上へ。
石垣。
「十六丁」の石柱を発見。
1丁=109mとして、1744m。
本殿までの距離でしょうか?
石垣の上が境内のようです。
御社殿へ。
御祭神の、伊弉諾尊、伊弉冉尊の
夫婦神と、御子の天照大御神に
ここにご縁をいただだいた事に感謝。
御社殿左の夫婦石。
紙垂(しで)も新しく、
大切にされている感満載です。
井上屋敷跡
江戸時代まで廣峯神社には
多くの社家が存在していて、
その屋敷跡がいくつも残っています。
そのうちの一つが、
天祖社のすぐ下側にある
井上屋敷跡です。
往時の姿はわかりませんが、
案内があるので読んでみました。
「裏面に由来を記す」
この案内があったからこそ
裏側に回ることができました。
どこまでも懇切丁寧な
廣峯神社さんです。
「元禄時代以前より
代々廣峯神社に仕え奉り
思いで深い住いを
神社並び先祖に報告祈願をし、
屋敷を清らかな明るい平地となし
いこいのところとす。」
井上家の子孫の方が
書かれたのでしょうか、
なんだか心洗われる言葉ですね。
これにて、
廣峯神社の参拝は完了です。