出水海軍航空隊/地下戦闘指揮所
戦争遺跡の保存
特攻碑公園や掩体壕などを体験して
感じたのは、
出水市は戦争遺跡の保存に
かなり力を入れられている
自治体であるという事です。
運よく多く遺構が残っていた事も
幸いしたのかも知れませんが、
「遺す」という意思があればこそ、
現状があるのですから、
出水市のこのスタンスが、
ずっと維持・発展できるよう、
心から願っております。
衛兵塔
地下戦闘指揮所の手前に建つのが、
衛兵塔と名付けられた見張所です。

地下壕よりも安全と思われるものの
ここは立入禁止なので、
歩哨の格好して、
撮影することは出来ません(笑)
「衛兵塔」の解説は以下の通りです。
「旧出水海軍航空隊の
正面道路脇に設置され、
基地の入口に衛兵が立哨し
警戒をしたところです。
衛兵塔の外壁には、爆撃による
弾痕が残されています。」
地下戦闘指揮所
出水海軍航空隊の遺構巡りで、
妻が一番楽しみにしていたのが、
この地下戦闘指揮所(地下壕)です。

地下壕の上には「雲の墓標」や、
いくつかの慰霊碑などがあります。

「防空壕」
「この防空壕は、
昭和十九年に開設された地下壕です。
空襲の激化に伴い、この壕内から
全ての戦闘指揮がなされました。
壕の入り口は四箇所ありましたが、
その内二箇所は
空襲により破壊されました。」
ここもサイパン島玉砕を受け、
突貫工事で
造られたのでしょう・・・
それにしても
サイパン陥落まで何もしないのは、
やはり上層部の怠慢でしかありません。
その昔読んだ、
零戦パイロット坂井三郎の著書で、
昭和17年8月7日、
ガダルカナル島上空で敵弾により
頭部に重傷を負い、
生死の境を彷徨いながらも
単機ラバウルに帰還し、
その後、
療養のために内地に戻ってみたら
まるで戦争などしていないかのような
呑気な雰囲気で驚いたという記述を
思い出します。
やはり「現場」を感じることが大切、
これって今も昔も不変ですね・・

入口。

入場。

案内を見て驚くべきは、
この地下壕への入場が、
「年中無休」ということです!
透けて見える(笑)のですが、
以前は、
毎週月曜日と12月28日から
1月4日までは入場できなかったようで、
「働き方改革」を標榜し、
休日増加、時間短縮の風潮の中、
この英断にはホント頭が下がります。
きっとご英霊の方々も
喜んでおられるでしょう。

千羽鶴に導かれるようにして階下へ。

いくつも残る機銃掃射の弾痕跡。

グラマン12.7ミリ弾と解説もあります。

さらに下へ。

コンクリ壁に貼られた
東京裁判に関する冊子、
「世紀の遺書」の紹介。
極東軍事裁判は、
「裁判」と名をつけた
戦勝国による「リンチ」。
本質は、これです・・・
判事団の中に
インドのパール判事がいた事で、
どれほど日本国民は救われたでしょう。
もちろん、
無能で無慈悲だった戦争指導者は、
勝者ではなく、
「日本国民によって」裁きを受け、
責任の所在を明らかに
するべきだったとは思いますが、
日本人はいつも「責任」を
有耶無耶にしてしまう民族、
そんなことは出来なかったかな(汗)

かなり深い!
だから爆撃にも耐えて、
ここに残っているのですね。

ここもコンクリの塊はハンパ無し!

入口上方には、
「終戦の詔書」が掲げられています。

地下戦闘指揮所に到着。

この爆風よけ窓の造り、
人吉や串良と同じ形式ですね!

やはり分厚い!

こちらは爆風よけ通路で、
天井の通気口もあり、
通信機器の電線なども
通っていたと思われます。

電源装置の置き場かな?

翼展示の案内。
「昭和20年4月、
出水基地に進出してきた松島空の
九六式陸上攻撃機マシ371号機は
地形偵察のため
離陸・帰投命令により帰投の途中、
基地空襲中の敵機グラマン戦闘機の
襲撃を受け被弾、
米ノ津櫓木山中に墜落し
搭乗者10名全員無念の戦死を遂げた。
この部品はその機体の
翼部分の一部である。」

上の穴はグラマン戦闘機の
12.7mm機銃の貫通痕でしょうか・・
炸裂弾ではないものの、
米軍の12.7mm機銃の威力は、
相当なものだったと
聞いた事がありますし、
なんと言っても米軍機は機銃の口径を
12.7mmにほぼ統一していたので、
7.7mm。12.7mm、20mmなど
日本の多様な機銃口径に比べ、
生産性は数十倍どころか、
工業力の差も含めれば、
百倍くらいになったのではと
思ってしまいます。
この一点だけ見ても
アメリカに勝てる筈はないですよね・・・

赤トンボ(93式中間練習機)の
垂直尾翼の骨格。

「海軍93式中間練習機(赤トンボ)」
以下全文です。
「乗員2名、340馬力、
全長8.05m、全高3.20m
昭和9年1月海軍航空隊に
正式採用されたもので、
以後太平洋戦争終結まで使用され、
一部は特攻機としても使用された。
航続距離1,109km、
上昇限度5,800m、
武装7.7mm機関銃2機を有し、
約5,600機が生産され、
海軍の飛行操縦者にとっては
忘れられない機種である。」
「展示されている部品は、
出水海軍航空隊で使用されていた
93式中間練習機の垂直尾翼の骨格で、
終戦後農家が保管していたものである。」
ちなみに赤トンボの実物大模型が
こちらです。

前日、人吉海軍航空基地資料館
(愛称:ひみつ基地ミュージアム)で
見たもので、
ほぼ完璧に再現されています。
この水着尾翼の本物の骨格が
残っていたとは凄いじゃないですか!

ここでツーショット完了。

出口側から地下戦闘指揮所を撮影。
こちら側はレンガも見えていて、
戦時中感がマシマシです(笑)

出口へ。

左に90度折れて、
さらに上ります。

ゴール!
満足感でいっぱいの妻(多分)
気象観測所
このあと、特攻神社を参拝後、
その足で気象観測所へ。

民家の一部として
現役で使用されているのです!
驚くと共に、
このようにして
遺構を残す方法もあると思えば、
戦争遺産の未来は明るいでしょう!