柏原八幡宮(兵庫県丹波市)後編

 

運命の分かれ道

今回柏原(かいばら)訪問の

きっかけとなったのが

柏原八幡宮の三重塔でした。

明治初期の神仏分離令による

廃仏毀釈で、神社に存在した

お寺関係の建物の多くは、

壊されてしまい、

境内に三重塔が残っている神社は、

ごく稀です。

何が建物の運命を分けたのでしょうか?

廃仏毀釈という文化財破壊から

逃れる手立ては何だったのか?

きっと当時の宮司さんはじめ、

柏原八幡宮の関係者の強い気持ちと、

神様の(仏様もかな?)の御加護の

賜物なのでしょうね。

三重塔

本殿に参拝した後は、

いよいよ三重塔へ向かいます。

本殿の真後ろの高い場所に

三重塔が見えています。

正面。

塔の前には釣鐘もあり、

まさにお寺然としています。

横位置でも撮影。

社頭からズームで

最上階の檜皮葺の屋根を撮影。

本殿の檜皮葺とのコラボ、

見応えありますね!

石段を上り接近。

案内板。

文化十年(1813年)から

文化十二年にかけられて

建てられたものです。

アップ。

一階部分。

ここで珍しいものを発見。

石段に寄進された年や、

寄進者の名前などが刻まれています。

「元治元甲子歳八月日」

1864年の寄進です。

そして、ここで注目したのが、

石段の造りです。

五段ある中の下から二番目だけが、

一本石ではなく、接ぎがあります。

これは、

「完璧なものには魔が宿る」との

考え方で、あえて不完全にするという

工法かと思われます。

装飾。

二人して見上げていたら

「あれ、見て!」と

妻が突然雄叫びをあげました(笑)

「何だ?」

そう思って見てみると・・・

お~これは楽しい!

阿形の可愛い力士と

同じく阿形の龍がいます。

そして、四方全てを確認。

吽形

阿形。

吽形。

力士は全てデザインが異なり、

作者のこだわりが伝わって来ます。

ここは、力士と龍をバックに

記念写真を撮るしかないでしょう(笑)

釣鐘

お寺には無くてなならないものが、

釣鐘ですが、

ここは今は神社です(笑)

鐘楼も立派ですね。

案内。

「天正年間に豊臣秀吉が

大砲鋳造の為、

郡内の鐘を柏原に集めた際、

特に優れたものであり

豊臣秀吉が改めて

寄進したものです。」

という事は安土桃山時代の

「金属供出」だったのですね。

それにしても、

三重塔といい、釣鐘といい、

柏原八幡宮には

「生き残りの神様」でも

いらっしゃるのでしょうか?

案内にあった

「二つの年号」のうちの一つ、

「康応元年」の文字を発見。

また、「丹波国」「髙山寺」と

刻まれているのも確認出来ます。

妻も鐘を撞いてみま・・・

せんでした(笑)

こんな静けさの中で音を鳴らすのが

ちょっと悪い気がして・・・。

境内社

本殿と三重塔周囲には

いくつもの境内社があり、

その中で一番規模が大きく、

お堂のような建物が特徴なのが、

本殿向かって左手に鎮座する

厄除神社です。

屋根の鬼瓦を見ると

やはり寺院を連想させますね。

厄除神社の右隣の住吉神社。

三重塔前の自然石の祠。

三重塔右横の八坂神社。

八坂神社のすぐ右にある、

三角兵舎的な形もの。

祖霊舎。

こちらも何となく

「お堂」の雰囲気が漂います。

祖霊舎前右側の燈籠は、

元治元年(1864年)の建立。

三重塔の石段と同じ年の寄進ですね。

対になる方は、

文政二年(1819年)と

刻まれています。

絵馬殿兼休憩所。

この建物も古い木造で、

何ともほっこりさせられます。

三色に塗り分けられたおみくじ入れ。

縁結びがピンクなにに納得(笑)

今日の癒やし

三重塔の前で見つけた

「三重塔修復竣工記念」の植樹。

こちらも三重塔ですよ(笑)

 

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