掛川城二の丸御殿(静岡県掛川市)後編

 

フォーカス

熊本城の加藤清正など

圧倒的な城主が名を残した城ならば、

その武将だけにフォーカスして

展示、企画をすれば、

衆目の満足は得られますが、

江戸時代、目まぐるしく藩主が代わり、

しかも皆、それほど知名度が

高いとは言えなかった掛川城の場合、

メインコンテンツを決めるのは、

なかなか骨の折れるものだったでしょう。

しかし、

天守とは違い二の丸御殿は、

江戸時代から残る

現存する「御殿」というだけで、

すでにその存在価値は高く、

「そこにあるだけで十分」なもの。

外観、内観ともに

大いに楽しませていただきました。

部屋からの眺望

二の丸御殿の大書院縁側からは、

こんな風景が見えます。

天守!

しかし江戸時代末期、

この御殿が建てられた時に、

天守はありませんでした。

なので、令和時代の僕達は、

当時の殿様たちよりも贅沢な眺めを

堪能出来ているという訳ですね(笑)

部屋めぐり

玄関入って、

三の間、次の間を通り、

ここからが本格的な

部屋めぐりとなります。

御書院上の間(大書院)。

「城主が藩の政治を

つかさどった公的な部屋です。」

(案内文)

中庭

御用部屋。

パンフレットには御用人部屋と

書かれています。

「城主への用件の取り次ぎや、

身辺の警護をする役人が

控えていた部屋です。」

(案内文)

大書院と小書院の間には

竹灯篭が飾られています。

そして、

僕達のテンションが上がったのが、

こちらの竹灯篭群です。

廊下に並べられているのは、

歴代藩主の家紋竹灯篭ですよ!

藩主の入れ替わりが多かった分、

逆に、多くの家紋を見ることができ、

演出した方の力量を感じます。

その竹灯篭から三つを選んでみました。

小田原征伐後、

掛川城天守を築城、

関ケ原の戦いで東軍勝利後まで、

約10年間城主だった

山内一豊の家紋、

「丸に土佐柏」。

慶安元年(1648)から

10年間城主だった

北条氏重の家紋、「三つ鱗」。

最後の城主であり、

この二の丸御殿を築いた

太田家の「丸に桔梗」。

小書院

「城主が政務を離れて

くつろいだ私的な部屋です。」

(案内文)

次の間。

「城主や奥方の

世話・護衛をする役人が

控えていた部屋です。」

(案内文)

長囲炉裏の間。

「城主あるいは

その奥方が使用した部屋です。

天井中央には太田侯の家紋である

桔梗と替紋の違いかぶら矢が

彫られています。」(案内文)

その天井を見ると・・・

お~!!

家紋ですね!

天井に家紋を彫ってある御殿は、

初めてかも知れません。

城主や奥方は、この下に寝転んで、

いつも自分の家紋を

見ていたのでしょうか(笑)

歴代城主のリストと

二人の代表的城主の紹介。

案内を要約すると

左の松平遠江守忠喬さんは、

「宝永4年(1707)

大地震によって大破した

掛川城内の修復に尽力し、

その後代々尼崎城主を務めた。」

右の太田摂津守資俊さんは、

「延享三年(1746)から

掛川城主となり、

幕府の奏者番、寺社奉行を務め、

寛延三年(1750)

龍華院大猷院霊屋

(りゅうげいんだいゆういんおたまや)の

修復を仰せ付けられ、

同年四月、霊屋において

百回忌法要を執り行った。

太田家は、江戸城を築いた

太田道灌の子孫であり、

資俊以降、

明治維新まで七代にわたり

掛川城主を務めた。」

このように書かれています。

この中の「龍華院大猷院霊屋」とは、

徳川家光の霊屋のことで、

掛川市のサイトによると

「明暦2年(1656年)、

嗣子のない掛川城主北条氏重が

三代将軍家光の霊を祀り、

家の存続を願ったといわれる

三間四方の方型造りの霊廟です。

文政5年(1822年)に掛川城主

太田資始により再建され、現在、

県の有形文化財に指定されています。」

このように書かれています。

しかし・・・

北条氏重さんの一途な願いも虚しく、

後継ぎが無く(認められず?)、

改易されています・・・

梵天(幣束)

「安政の大地震で倒壊した御殿は、

安政二年十二月十五日再建されました。

その上棟式に用いられたものの1本で、

梵天と言われ当時の大工伝蔵という人が、

城主より下附されたものです。

棟札にもその名が書かれています。」

(案内文)

足軽目付。

「足軽を監督した足軽目付の部屋」

(案内文を抜粋)

徒(かち)目付。

「徒(徒士)という

下級武士を監督した

徒目付の部屋です」

(案内文を抜粋)

吟味奉行。

「藩内の訴訟や事件あるいは

経理関係の吟味をした

吟味奉行の部屋です。」

(案内文)

重要文化財の棟札。

安土桃山(山内一豊)時代の

縮尺600分の1の掛川城模型。

随臣。

戦国を生き抜いた掛川城史。

「掛川の町の基礎は山内一豊が築いた。

掛川城は関東の徳川家康を封じ込める

拠点だった」と書かれています。

このあたりは山内一豊押しの展示。

妻の千代さんの聡明さが、

パネルによって紹介されています。

黒髪を売ってお金にした・・・

明智光秀の妻、煕子さんも

同じことやってましたね!

武将は見てくれが大事。

山内一豊さん、

妻の内助の功もあって

無事関ケ原へ(笑)

掛川の今昔地図。

貨幣のうつりかわり。

この中で、

一つ増えた知識はこちらです。

「文」という単位は、

開元通宝の直径だったのです!

六文は開元通宝6つ。

お祭りの紹介。

賄方。

藩の経理事務をした部屋。

ここにお祭り関係の道具が

展示されています。

大名行列人形。

槍。

妻曰く、

「槍は突くのではなく、叩くもの」

その言葉通り、

槍の先には石のようなものが

ついていますね!

「妻説」は証明されました(笑)

御談の間。

「藩へ用事のある者の

用件の取り次ぎや、

談合・会議などの際に

使用した部屋です。」

(案内文)

ここに展示されていたのが、

「つまようじの掛川城御殿と天守閣」

天守(天守閣)。

掛川城御殿。

つまようじアート作家の

高柳智雄氏の作品で、

天守と御殿で

1万本以上のようじを使い、

半年以上の製作期間をかけ

作られたと書かれています。

中身の濃い展示が多かった

二の丸御殿の部屋めぐりは、

これにて完了です。

 

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