春日大社(2018年奈良の旅)前編

 

広大な敷地に多くの摂社

春日神社は、

広大な敷地の中に鎮座しています。

本殿以外にも、

境内社(摂社、末社)は、

数え切れないほどあり、

到底一回の参拝で、

その全貌を把握するのは、

相当な神社通でも難しいでしょう。

灯籠一つをとってみても

その数の多さ、多様さで、

奉納した人とを見定めるのも

至難の業かも知れません。

また、興福寺、東大寺と並び、

奈良駅からの一直線上に存する

便利な立地条件も相まって、

外国人観光客の多さに圧倒されました。

春日大社へ

手向山八幡宮(東大寺)から

春日大社の境内地まで、

歩いて行くと神社の境界線あたりに

昔風のお洒落な建物があります。

歴史的な建造物ではなく

食事処です。

英語も併記されたメニューの看板があって、

ここで僕が注目したのがこちらです。

「ごはんセット」!!

これはやはり外国人に向けての

日本体験特別メニューでしょう。

日本の原風景とも言える

「ごはんと味噌汁」

店主さん、なかなか

アイディアが光っていますね!

本来の表参道はこの案内図の上、

一の鳥居からになりますが、

僕たちは東大寺から南に歩き、

案内図の右側真ん中あたりから

境内地に入りました。

ここには、春日大社が、今年の夏から

創建1250年を記念して始めた

水谷九社めぐり専用参道があります。

御祈祷所で受付を済ませて、

初穂料1500円を納めた

ツアー参加者だけが

ロープを外して中に入れるようになっています。

末社を巡るツアーとは、

初めて聞きました!

そして、この九社めぐりが完結した人には、

水谷九社めぐりの

特別な御守と御朱印をいただけるそうです。

ある意味、商売上手でもありますが、

末社が、そこにあるから行こう、

撮影しようという

邪念だらけ(笑)の僕なんかよりも

本当に末社の神様と出会いたい、

参拝したいという方だけに向けた

特別感を味わえる

配慮ある企画と言えるでしょう。

そんなことを考えていたら

大きな木を発見しました。

水谷神社瑞垣内の

イブキ(ビャクシン)です。

以下、案内の抜粋です。

「イブキの幹が空洞になり

その中からスギが立ち、イブキの幹が

大きなスギを抱え込む形になっている

この不思議な関係のイブキとスギは

古くから水谷神社の寄生木(やどりぎ)の

名で知られている」

そして、下の英語表記を見ると

イブキは、Chinese juniper

スギは、Japanese cedar

なんですね!

中国に日本が抱え込まれているのか?(笑)

境内社ですが、檜皮葺の屋根に

瑞垣までめぐらされて、素晴らしい社です。

案内を抜粋します。

「御例祭(花鎮祭)で奉納される

禰宜座狂言は春日神人が演じることから

そう呼ばれ、豊臣秀吉が肥前名護屋城

招くなど一流の狂言として誉高かった。」

奈良から(佐賀県の)名護屋城まで、

狂言を演じるためにはるばる行った

(行かされた?)とは、

秀吉の権威の凄さは半端ないものですね。

社殿を真横から撮影。

ここで気づいたことは、

春日大社なのに

庇が屋根と独立した

春日造りの神殿ではなく

屋根が庇まで兼ねるタイプの

流造りの神殿ということです。

このあと巡った境内社も

同じく流造になっているものがあり、

春日大社だからといって全部が、

春日造りというわけでもないんだと

僕だけが納得(妻は知らない話なので…笑)

水谷神社全景。

かつては水谷神社の西側にあった

子安社拝殿の子授石。

形的に何かを想像してしまった(笑)

ここから灯籠が立ち並ぶ

趣のある参道を進みます。

こちらが、創建1250年を記念し

再興された龍王社です。

金運財運守護とはいいですね(笑)

以前はお寺の鎮守社として

存在していたもので、

かなり大規模だったようです。

ここには書いてありませんが、

明治政府の出した神仏分離令で

お社自体はなくなり

御神体は合祀されたものを再興しています。

明治維新150年である平成30年に

再興とは、なんだか意味深な感じです。

一旦なくなったものを150年近く経って

再興する力がある神社は

全国にそう多くはないでしょう。

龍王社は完璧な春日造りです。

次に目に入って来たのが、

一言主神社です。

一言主様は一つだけ

願いを叶えてくれます。

欲張るとだめ、

一つだけで十分じゃないですか!(笑)

総宮神社。

たくさんの神様が集められています。

先程の龍王社も以前は

ここに合祀されていました。

阿倍仲麻呂の碑。

案内を読むと

阿倍仲麻呂は遣唐使の一員で、

吉備真備たちとここ春日の神地で

壮行行事を受けています。

彼は相当に有能で、

唐の朝廷にまで入り活躍したそうです。

しかし有能さ故、

なかなか帰国を許されず、

唐に渡って40年近く経ち

ついに帰国を果たすことになり

その船内で喜んで詠んだのが

上の石碑の有名な歌です。

しかし、その船は難破して、

思い届かず帰国を果たせませんでした。

やはり喜ぶのは「事が成就した後」に

限ります。

柔道のやわらちゃん(谷亮子)は、

金メダル確実といわれた

アトランタオリンピックで準決勝に勝ち、

喜びを表したのち、決勝で負けました。

次のバルセロナオリンピックでは、

金メダルが確定するまで、

一切笑顔も喜びも表しませんでした。

やはりこの精神の持ち方は何かを

引き寄せるものがあるのかも知れません。

もし、この歌を詠まずにいたら…

阿倍仲麻呂は今のように

有名になっていなかったかも知れません(笑)

こちらは酒殿。

国指定重要文化財。

859年に創建と伝えられていて、

現在でもここで濁酒を醸造し、

お供えをしています。

桂昌殿。

江戸時代5代将軍綱吉の母、

桂昌院の寄進によるものです。

この桂昌院、

かなり神様への崇敬があった方のようで、

伊勢の神宮、内宮にある

五十鈴川ほとりの

御手洗(みたらし)という禊場の石

寄進していて、今もなお当時のまま

使われています。

内侍(ないし)門。

本殿向かって左側の門です。

本殿敷地への参入口は、

正面の南門とは別に内侍門を含め

三つありますが、藤原氏一門が通る

慶賀門が一番豪華なようです。

内侍門から見た本殿敷地。

清浄門と回廊。

ここで残念なお知らせが…

藤原氏が通ったという豪華な

慶賀門だけ撮影していませんでした(汗)

南門。

ここが正面の入り口です。

南門前の案内図。

さて、この後、いよいよ本殿敷地に

入っていきます。

 

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