2021/07/19
貴布禰神社(鳥取県米子市)
貴布禰とは
神社でいただいたパンフレットには、
「貴布禰(きふね)の意味」と題し
次のような文章が書かれています。
「エネルギー「気」から生ずる根元である
「気生根(きふね)」は、
その御神気にふれるだけで
元気が蘇ると言はれる。
本社貴船神社は京都鞍馬に鎮座、
貴布禰と称されていたが
明治四年太政官通達にて、
貴船と裁定然るに貴布禰と同義。
和泉式部は恋を祈り、
源義経は源氏再興を、
徳川家光は病気平癒を祈願している。」
な~るほど!
僕たちもここで「気生根」にふれたので
元気が蘇ったはずです(笑)
参道
駐車場は境内の中。
という訳で、改めて
参道の起点に歩いて行き、
そこから参拝開始です。
参道入口。
一の鳥居と燈籠。
手水舎。
コロナ対策仕様の手水鉢からは、
水の神様らしく、
美し水が滴り落ちています。
この光景を見るだけで、
「気生根」を感じますね!
画僧嗒然の絵馬
手水舎の先には、
絵馬の案内があります。
「画僧嗒然(とうぜん)の絵馬」
案内には、
「幕末の大山寺円流院院主で、
後に寺を降り「超俗の画僧」といわれた
嗒然が晩年の安政七年(1860)
六十五歳のとき描いた絵馬である。
(中略)
水墨画が多い嗒然の作品の中で
異色ともいわれる。
額の裏に自叙伝が書かれているが、
嗒然は皆生村に生まれ
貴布祢神社の氏子でもあった。」
このように書かれています。
大山寺・大神山神社の参道では
嗒然さんの石碑を見ましたが、
ここで、また嗒然さんと再会するとは、
やはりご縁なのでしょう!
そして、このブログを書きながら、
嗒然が院主だった大山寺円流院を
ネットで調べてみると
ゲゲゲの鬼太郎の作者、
水木しげる氏の手になる妖怪天井画で
有名な場所になっていました!
お寺が天井画を依頼したいきさつには、
この画僧だった嗒然さんへの敬服の気持ちが
込められているようですので、
嗒然さんもさぞかし喜んでいるでしょうね。
パンフレットに紹介されている
絵馬の写真。
左端には、
「安政七年庚申閏三月
六十五翁
太虛嗒然」と書かれています。
嗒然さんは晩年、
「迎嶽観主人太虛」と号したそうですから
この名前を書かれているのでしょう。
随神門~御社殿前
いきなりの嗒然さんとの再会で、
高揚しっぱなしの僕ですが、
妻は至って冷静です(笑)
随神門。
さらに先へ。
今年と去年の干支絵馬。
どちらも素朴で可愛らしく、
そして、優しさが詰まった
僕たち好みの絵柄です。
絵馬を見ただけで、
何となく宮司さんの人柄が
わかります・・・。
拝殿が見えてきました。
この石段を上がると、
そこにはこの神社を参拝する
最大の目的だった、
「鳥取県内最古の狛犬」に
出会えるはずです。
鳥取県内最古の狛犬
天明四年(1784)建立の
鳥取県内最古の狛犬さんと
遂にご対面(笑)
覆屋には注連縄まで張られ、
大切にされています。
パンフレットによれば、
「越中富山の薬売り名がある」
こう書かれていますので、
富山の方が
寄進されたのかも知れません。
お口部分は崩れていますが、
こちらは阿形と推測。
横から。
石の質感からして、
笏谷石製でしょうか?
富山の方が寄進したのであれば
その可能性はあるやも知れません。
後ろから。
吽形。
笑ったような表情に、
何とも癒やされますね。
この神社さんにピッタリですよ!
横から。
後ろから。
拝殿・本殿
道草が(笑)多くなりましたが、
ようやく参拝へ。
拝殿。
向拝の彫刻。
賽銭箱の先には
パンフレットが置かれています。
「車」の文字が入った円形の文鎮、
いったい何を意味するのでしょうか?
謎は解けませんでしたが、
このパンフレットのお陰で、
ブログの内容も充実出来、
神様と貴布禰神社様に感謝です。
※ブログアップの2日後、
ブログをお読みいただいた方から
「この地域は車尾(くずも)といいます
小学校の校章も「車」を
あしらったものですし、
地域名からの由来ではと思います」
とのコメントをいただきました。
なので、文鎮車問題は、車尾で解決です!
コメント本当に感謝してます。
拝殿斜めから。
本殿。
本殿斜め後ろから。
遙拝所
本殿の周囲には
二箇所の遙拝所があります。
伊勢神宮遙拝所。
美保神社遙拝所。
遥拝を完了し、
この神社最大のイベントへ・・・
これが最大のイベント(笑)
これにて見所満載の
貴布禰神社参拝は完了です。
今日の注目
本殿の横にあった
「あみくじ結び処」。
この優しい雰囲気、素晴らしい!
ここにおみくじを結べば、
願いが叶うこと間違いなしでしょう!
Comment
旅人さんこんにちわ
地元にいても行ったことがないところまで足を運んでくださってありがとうございます。
新たな発見が多く、続けて拝見しています。
文中に パンフレットおきの「車」の文字が入った円形の文鎮の謎について書かれていました。
神社の方にお聞きしたわけではありませんが、私の予想を書かせていただきます。
この地域は車尾(くずも)といいます。きふね神社のすぐ近くに車尾小学校もあります。
車尾小学校の校章も「車」の文字をデザインしたものです。
おそらく神社の「車」の文字も、この車尾(くずも)の地域名からきているものではないかとと思われます。
勝手な予測で失礼しました。
全国回られるのを楽しみに拝見しています。
マイラ様
ご教示
本当にありがとうございます。
おっしゃる通り、車尾の
地名に由来するものでしょうね!
いきなり解明できて
嬉しい限りです。
なんとも素敵な文鎮、
崇敬者の奉納かも知れませんね。