2021/08/22

大神山神社奥宮(鳥取県大山町)前編

 

心願成就(笑)

鳥取県の霊峰、大山(だいせん)。

現在、冬はスキー場として有名ですが、

平安時代以前から明治維新までは、

修験道の霊場の一つとなっていました。

そんな大山の全貌を初めて見たのは、

令和元年9月、米子城訪問時の事。

関ヶ原の戦い後、岩国に転封となった

吉川広家が建てた小天守跡から臨む大山。

これを見た時に、

「あ~あそこに

日本最大級の拝殿を持つ

大神山神社があるんだ~

いつか行きたいな~」

なんて思っていました。

(妻にも話したけどきっと忘れています)

思い焦がれて1年半、

遂に心願成就(笑)となりました。

暴風雨の歓迎

心願成就に心も浮き立ちながら

快適な夜を過ごした米子市の

ホテルわこう」を出発。

しかし、

この日の天気予報は基本、雨。

その予報通り、

朝から雨が降り続いていました。

ですが、いつものように

「僕たちの行く所だけは問題ない」

そう思いながら30分ほどで

大山駐車場に到着し、

参拝に向かおうと車を降り

歩き始めた途端、

傘をさしていられないほどの

暴風雨となってしまったのです・・

参拝どころか、真横からの雨で、

びしょ濡れだし歩けない状況です(汗)

急ぎ、車に戻って待機していました。

待つこと10分ほど、

予想通りというか、願望通りというか、

暴風雨は嘘のようになくなり

いきなり曇りのお天気に!

良かった~(笑)

大山の山頂は見えませんが、

ほっとしながら車外へ。

そんな心の余裕もあってか

麓方面を見てみると、

こんな素敵な景色が

広がっているではありませんか。

境港から美保関

そしてそれらに囲まれた

日本海の幻想的な風景です。

参道

雨も一興(強がり?)、

そんな思いで参道へ。

大山寺地区散策マップ。

江戸時代までは

大山寺と大神山神社奥宮は、

神仏習合で、一緒でしたが、

明治の神仏分離令で、

仏像撤去、神社として残り、

お寺は廃寺、その後、復活という

日本の各地でよく聞く歴史があります。

よってここの参道は、

途中までは寺社共通となっています。

冬はスキー客で賑わうのでしょう。

参道。

参道横には足湯もあります。

「弘化の大地蔵」

江戸時代末期の弘化三年(1846)

建立のお地蔵様。

とにかく、ここには、

お地蔵様が無数にあり

何でだろう?

そう思っていたら

神社の後、大山寺に参拝したときに

その意味がわかりました。

大神山神社の駐車場。

出来るだけ歩きたくない人は、

ここに停めると便利です。

「とう然の碑」

案内を要約すると

「文化三年大山寺に入り

円流院住職となった。

学識優れ、

弘化三年大山雑考を編む。

書画をよくしその作品は

珍重されている。」

弘化三年は、

先程の弘化地蔵と同じ年、

大山雑考との関係が

あるやも知れませんね。

牛霊碑。

「信濃坊源盛の碑」

案内を超訳すると

「大山寺の別当であった源盛は、

後醍醐天皇に従い、

各地を転戦、

熊本県八代にて戦死。

後年、

その功績によりこの碑を建立。」

明治になって、

楠木正成など天皇に忠節を尽くした

歴史上の人物を顕彰した中の

おひとりなのでしょう。

神社専用参道

石碑から少し行くと

Y字路が見えてきます。

右は大山寺の石段、

左は大神山神社への参道。

もちろん僕たちは左へ。

文政三年(1820)寄進の鳥居。

祓戸社的なお社。

お地蔵様群にご挨拶。

参道右側の杉。

何の変哲もないようだが、

正面まで行くとこの通り。

杉と岩が一体化されています。

「和合の岩」

このように名付けられていて、

縁結び、子宝祈願など

願いが叶うそうです。

岩と杉の前にある石橋。

その名も「無名の橋」。

案内には、

「この橋の裏には金剛経が刻んであり、

この橋を渡ると一切の罪障が

消滅すると伝えられる」

このように書かれています。

という訳で、僕たち二人の罪障は、

一切無くなっています(笑)

さらに奥へ。

とにかく多いお地蔵様。

さらに続く杉並木の参道。

文化八年(1811)建立の灯籠。

大神山神社まであと0.4Km

ここにもお地蔵様が。

そして気になったのがこちら。

「僧兵の力石」

案内には、

「大山寺の僧兵は約五百年の昔

その数三千人と言われ、

勇猛無比その勢いは大山颪(おろし)

と言われ山陰を風靡したが、

平時この力石で力を

競ったと伝えられる。」

このように書かれています。

「颪」って漢字、

生まれて初めて見ました(笑)

「吉持地蔵」

案内を要約すると、

「江戸中期、会見(あいみ)郡の

長者、吉持甚右衛門が寄進。

大山寺でも自然石に刻まれた

数少ない地蔵である」

このようになります。

賽の河原

吉持地蔵を過ぎると、

参道から右に外れる道があり、

その先が、金門、賽の河原など

いくつか見所がありそうなので、

行ってみました。

川沿いへ。

僧兵荒行の岩。

金門の案内。

金門自体がどこにあるのか、

既に無いのかは分からず(汗)

ここにもお地蔵様。

賽の河原の案内。

ここから河原へ。

大山は雲に隠れて見えませんが、

この河原には何か感じるものがあると

妻は話していました。

妻の第六感なのか、

引き寄せなのか、

なんか天気が良くなってきたような・・・

川を下って切り通しの真ん中にある

滝壺の上まで行ってみます。

お~!!

雲が切れて、間違いなく青空ですよ!

あんなに暴風雨だったのが、

ここで青空に出会えるとは!

滝壺に落下しないように動画も撮影。

天照大神様、

妻のおばあちゃん、

そして、僕たちを守ってくれるみんな、

雨予報を覆してくれてありがとう!

そんな妻のポーズです(笑)

(中編へ続く)

 

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