熊本縣護國神社(熊本市)

 

震災の爪痕

熊本地震が起きたのが2年半前。

今回の熊本城周辺を訪問し、

思ったことは、

これだけの月日が経っても、

復興はまだ始まったばかりだという事。

熊本城全体の復旧だけでも

今後30年かかるそうです…

還暦近い僕は、

その復旧完了を見届ける事が

出来るのでしょうか(汗)

そして、

熊本城の横に鎮座している

熊本縣護國神社も熊本城と同じく、

大きな被害を受け、

復旧はまだ先のようでした。

熊本縣護國神社へ

熊本城二の丸広場から

歩いてすぐの場所が、

熊本縣護國神社です。

二の丸から城外へ続く

枡形虎口もご覧のとおり、

応急処置的な装いです…

西南戦争では、

近代兵器の猛攻撃を受けてさえも

耐え抜いた

加藤清正渾身の作である熊本城も

大地震では相手が悪過ぎました…

境内入り口。

台湾から贈られた狛犬。

阿吽ではなく、阿、阿(笑)

境内は駐車場となっています。

教育勅語の石碑。

なんと二人の熊本藩出身者、

元田永孚(もとだ ながざね)と

井上毅(いのうえ こわし)の二人が

起草したものだそうです。

戦後、日本人が二度と

アメリカに歯向かわないよう

フヌケにする目的の一環で、

GHQによって、禁止された教育勅語。

口語訳を読むと素晴らしい内容ですし、

正に日本人が指針とするのにふさわしい

文章となっています。

こんな精神で生きる国民であれば、

アメリカが怖がるのも無理はないかも(笑)

拝殿にて参拝。

向かって右側は、

震災の復旧工事があっています。

悲惨な状況です…

右下の写真、

招魂神社の鳥居を見ると、

長崎の原爆で一本足になった

山王神社の「片足鳥居」を思い出します。

拝殿前の両脇には、

十二支の彫刻が

玉垣のように並んでいます。

拝殿向かって右側の十二支。

僕の写真撮る影が…(笑)

拝殿の左側から内部を見学。

奥に見えたのは、

「鎮魂」の書。

英霊と、震災への鎮魂…

本殿。

本殿の前には、

神風連の乱の石碑と絵があります。

神風連の乱とは、

明治政府への不満を爆発させた

士族(元の武士階級)の乱で、

翌年の西南戦争(西南の役)への

導火線みたいなものです。

神風連の乱の首領、太田黒伴雄が

神風連の乱の前に宇気比(うけい)

(占いみたいなもの)をしたのは

新開大神宮という熊本市郊外の神社で、

乱から140年位後、

その神社の宮司さんと僕は、

一時期Facebook友達になっていたのです。

だから神風連の乱は僕にとって、

ちょっと気になる出来事で、

ここで石碑と出逢えたのも

宮司さんの引き合わせかも知れません。

ここが、挙兵本陣跡。

熊本城にあった鎮台を

襲ったそうなので、

熊本城近くのここが本陣というのも

うなずけます。

そして、この石碑のすぐ近くには

血なまぐさい話題から一変し、

お菓子の神様がいらっしゃいます!

神額には、「新宮菓祖神」の文字が。

お菓子の元祖みたいな(笑)

御祭神は、

垂仁天皇の命令で不老長寿の薬を

探しにいったという

田道守命(たぢまもりのみこと)です。

彼は、橘の実を持ち帰ったとされ

甘いお菓子が無かった時代は、

橘系の果実のことを「菓子」といい

風邪薬にも使われたそうです。

この神社の由来です。

熊本の街中にあったものを

ここに手厚く遷座したようです。

社殿にて参拝。

お菓子が沢山食べられますよ〜に〜(笑)

鳥居の裏には、

「株式会社お菓子の香梅」

と書かれているではありませんか!

そう、あの僕たちが、

桜馬場城彩苑で、氷を溶かして、

陣太鼓二つGETした

あのお菓子の香梅です。

いや〜すでに神様のご利益を

参拝前にいただいてたのですね!

ご縁って不思議なものだ〜(笑)

感動にひたりながらも

このあとは、また境内を散策。

台湾軍の碑。

二宮金次郎の像。

歩兵第225聯隊慰霊碑。

台湾歩兵第二聯隊の慰霊碑。

震災で被害を受けた石碑…

震災の日のままのようです…

現地に行かないと、

復興とか復旧とか

まだまだ序の口だという事は、

認識出来なかったでしょう。

最後に今の平和を

もたらしてくださった

英霊の皆様と熊本の復興を願い、

敬礼!

 

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