黒水家住宅(宮崎県高鍋町)前編
江戸時代の現存建物
黒水家住宅について、
パンフレットを一部抜粋すると
次のように書かれています。
「黒水家住宅は、
高鍋藩秋月氏の家老職を務めた
黒水家の家で、家老屋敷と呼ばれ、
主屋・籾蔵・みそ蔵・土蔵が建ち並び、
前面に土塀が建ち
武家屋敷としては貴重なものである。」
「建築年代はこれを示す明確な資料を欠くが、
構造形式等からみて文化・文政の頃
(1804~1830)
のものと推定される」
「籾蔵は、藩政時代に
藩の籾蔵として
高鍋城内に建っていたものを
明治初期に譲りくけ移築したもので、
西南戦争の際に
秋月種節(たねよ)をはじめ
九烈士が薩軍によって
監禁された建物である。」
また、概要として、
・高鍋町の有形文化財に指定
・第10代秋月種殷(たねとみ)につかえた
・家老12名中のひとり
・黒水家の子孫が町に寄贈
・町が2億5百万で修復した
・平成7年から一般公開
・黒水家は兵法家の家柄で禄高は140石
このように紹介されています。
豊前小倉藩、小笠原家の家老、
宮本家の4千石などに比べ、
同じ家老でも140石は
ちょっと少ない気がしますが、
それでもお屋敷は広く立派です。
何よりも建物が現存している事で、
黒水家の名前は
永遠に残るのですから
全国無数にいた「家老」の中でも
稀有な存在でしょう。
エントランス
高鍋城から車で5分ほどで、
黒水家住宅に到着。
全景。
鯉が泳ぐ川を石橋で渡って屋敷内へ。
この時、来場者はゼロ・・
入場料一人100円を支払い、
二人だけの貸し切り空間へ(笑)
家屋内部
見所は、屋敷内、庭と外観、
そして、籾蔵の3箇所ですが、
まずは、屋敷内の見学を選択。
玄関。
パンフレットには、
「式台玄関で三段になっており、
身分の高いことを示す」と書かれています。
そして、
玄関入って正面に掲げられているのが、
こちらの「黒水家家訓」です。
多くは現代においても
そのまま通用する内容で、
特に気になったのは次の二つです。
「主人というのは大した理由もないのに
虫の居所が悪いだけで怒るものである」
過去の僕でしょう(汗)
「人の陰口を云う者は人にあらず」
よく聞きますね・・・「陰口」。
人じゃないんだな~(笑)
手前が控の間、
奥が次の間。
上の間。
床の間の掛け軸。
案内・補足によると右側は、
「孔子が鬼神(神・死者・霊魂)について
語った部分で、無形である鬼神の「徳」について
説明されている」
左側は、
「家老という職を終え肩の荷がおりた
安堵感を詠っている」
このようになります。
透かし窓。
釘隠しは五三の桐紋。
居間。
台所。
庭と外観
内部の次は外観を見学。
玄関手前の格子戸から庭先へ。
上の間の前に広がる庭先。
裏側からの主屋外観。
パンフレットに書かれた
「鍵座敷・寄棟造り・茅葺」というのが
よくわかる角度です。
主屋と籾蔵(右奥)。
雲が絵筆で描いたような形で、
素晴らしい景観ですね!
左が味噌蔵、
右が土蔵。
パンフレットには土蔵には宝物など、
何も入っていないと書かれていたので、
こじ開けるのは止めて(笑)
味噌蔵へ。
味噌蔵の内部は、
味噌桶や大八車、
そして、現代の作業用一輪車まで
展示されています。
一輪車は実用のものか~?(笑)
(後編へ続く)