黒水家住宅(宮崎県高鍋町)後編
監禁場所
高鍋藩の家老だった
黒水家住宅に残る籾蔵は、
明治10年の西南戦争の時に、
西郷軍に味方しない
九人を監禁した場所です。
西南戦争では、同郷でも
敵味方に分かれた事例も多くあり、
何ともやるせない戦争ですね・・・
そんな歴史を肌で感じられる
監禁場所の籾蔵が、
そのまま現代まで残されているのは、
かなりレアなケースと言えるでしょう。
籾蔵
明治初期に高鍋城内から
移築された籾蔵は、
黒水家住宅入口のすぐ左側にあります。
正面が黒水家住宅主屋、
左に見えるのが籾蔵です。
籾蔵正面。
籾蔵側面。
さらに外から全体を撮影。
この後、内部へ。
一階入ったところ。
この籾蔵で監禁されていた九人は
「九烈士」とされていて、
一部の方の写真などが展示されています。
この奥には、
西南戦争の経緯と高鍋との関わりを
絵と写真で詳しく紹介した部屋があります。
西南戦争勃発から、
終戦までの紹介。
官軍、薩軍、どっちに着くのか?
黒水長慥(ちょうぞう)さんたちは
鹿児島まで行き、内情を確認の上、
「慎重論」を唱えたものの
薩軍参加に決定。
黒水長慥さん。
薩軍参加拒否のため、
この籾蔵の牢に入れられた
九烈士の一人です。
高鍋隊、薩軍へ合流。
人吉から八代までは船。
今では川下りの名所です。
高鍋からの援軍が、
高千穂を超えて熊本へ。
右側の絵は官軍が美々津港に入り、
小舟で岸に向かったのを
怪しく思った薩軍が、
捕らえて詮索したところ
内通者の手紙を発見。
これがきかっけで、
黒水さん達九人が、
籾蔵に監禁される事に。
高鍋隊最後の戦い。
頑張ったけど、多勢に無勢、
明治10年8月18日
高鍋隊は遂に降伏。
高鍋隊の一部は、
西郷本軍に合流。
死を決していたかのような
西郷の風呂桶を準備したのは、
高鍋隊の本田親という方。
本田さんと西郷さんの別れ。
右は、高鍋隊投降後、
船で長崎の裁判所へ運ばれる
黒水さんたちの風景。
官軍が高鍋に侵入した際、
焼き討ちにあった家々。
高鍋隊の進路と退路。
籾蔵からの景色
ちょっと重い歴史を見たあとは、
明るい外の景色で気分転換(笑)
この部屋から外を見て、
「ここ、あそこみたいね~!」
妻がそう言ったとき、
僕の脳裏にも
同じ光景が浮かんでいました。
こちらは熊本県小国町の
北里柴三郎記念館にある
貴賓館の二階です。
「籾蔵」と「貴賓館」、
全く用途は違っても、
日本の原風景を思い起こさせてくれる
歴史的建造物の素晴らしさですね!
閑話休題、
籾蔵からの景色はこちら・・・
黒水家住宅主屋の茅葺屋根が、
目の前に広がっていて、
こちらも気分は江戸時代(笑)
今日の癒やし
帰りがけに係のおじさまから
手渡されたのがこちらです。
鯉の餌!
無料の餌やり体験なんて、
人生初めてかも(笑)
係のおじさま、
案内自体も実に親切な方で、
ホントに癒やされました~。