河口湖自動車博物館・飛行館/零戦
先人たちの苦闘
大東亜戦争(太平洋戦争)開戦劈頭、
空の「主役」は零戦でした。
防弾装備を省いて軽量化し、
長大な航続距離と、
高い運動性能、
20mm機関砲の威力、
そして何よりも卓越した技量の
ベテランパイロットがいた事で、
零戦の利点を最大限活用でき、
大きな戦果に繋がっています。
しかし、
開戦後半年もすれば、
ミッドウェイでの大敗北、
ガダルカナル島上空の戦いなど、
連日の出撃でパイロットは疲労困憊、
ベテランは漸減し、
補充される新人パイロットでは、
零戦の性能を活かす前に、
防御力の脆弱性が顕著になり、
多くが撃墜され、
さらに、
劣悪なガソリン事情や、
ベテラン整備兵も陸戦隊となり玉砕したり、
悲しいかな零戦は、
遂に特攻兵器の「主役」に
なってしまいます。
空戦の主役だった頃の、
旋回性能や重武装も不要になり、
ただ敵艦を目指し
一直線に突っ込むだけの爆弾として・・・
昭和12年に零戦の設計が始まった時、
当時の日本の科学技術力では、
戦闘機としてのゼロ戦が、
最高水準のものであった事は
間違いないでしょう・・
「攻撃は最大の防御」で、
あとは絶対被弾しないように、
精神力で戦う機体として・・
今回本物のゼロ戦を肌で感じ、
先人たちの苦闘のほんの少しは、
理解できた気がします・・
あくまでも「気」ですけどね(汗)
零戦21型
飛行館に展示されている零戦は、
21型、21型の骨組み、52型で、
全て本物から復元されていています。
まずは21型の案内を二つ、
抜粋してみます。

「零式艦上戦闘機
(艦上機:航空母艦から
発着可能な航空機)、
通称ゼロ戦は昭和12年(1937年)
三菱重工、大江工場にて
堀越二郎氏を主任設計者として
開発が始まった。
昭和15年7月には
正式に海軍戦闘機として採用される。
20mm機関砲2門を装備、
そして他に類を見ない
抜群の運動性能などから
世界一のゼロ戦と呼ばれた。
堀越二郎氏は操縦が
出来なかったと云われているが、
零戦の隅々までに”美”を追求した、
芸術家であったとも云える。
ゼロ戦は21型から、
22型、32型、52型、62型と
5回もの設計変更が行われたが、
最初に設計された21型が、
一番性能が良かったと云われている。
初期型のゼロ戦は空の雲の色に
溶け込むように機体はグレーであったが、
後期型からは主に熱帯のジャングルで
使用された為、
グリーンに塗装されている。」
ここに記されている「美」とは、
「機能美」の事でもあるでしょう。
機能を最大限追求した結果、
美しいデザインが生まれる・・
米軍のP51マスタングや、
B29などもその部類に入るでしょう。

「零式艦上戦闘機(ゼロ戦)21型」
「21型は初期型モデルです。
尾翼に記された「AI -101」は
真珠湾攻撃の際、空母赤城より出撃した
エースパイロット板谷少佐の機番です。
展示機は90%以上もの
オリジナル部材を使用して復元されており、
本物のエンジンが装着された
世界唯一の機体です、。」
ここで紹介された板谷少佐が、
「隼」のブログで書いた、
九六式陸攻に乗っていて、
味方機の誤射で戦死した方の一人です・・・
人の運命とは、
かくも過酷なものなのか・・・
そう思わざるを得ません。

右前から。

キャノピー(風防)をアップ。

正面から。

エンジンアップ。

左前から。
次に、栄エンジンの展示へ。

「”栄12型”ゼロ戦用エンジン」
「1940年
中島飛行機製(現:富士重工)
空冷 星型 複列
14気筒 949馬力
排気量27,900cc
(1気筒 約2,000cc)
現在、世界で回るエンジンは
この1基のみです。」
ここ飛行館に於いて、
「世界で一つ」というのが、
頻繁に出てきます・・・
それは、
飛行館が超本物思考で、
妥協を許さず、
真摯に復元をされているからに
他なりませんね!

エンジン・横から。

「現役で動いている」事を
証明するかのようなオイルの量。
この匂いまでが、
大切な思い出です(笑)

前から。

「榮一二型」の銘板。
今から86年前、
1940年のものが、
「動く状態」で目の前にあるなんて、
なんと凄い事でしょう!
零戦21型骨組み
次は超レアもの
「ゼロ戦の骨格標本」(笑)です。
まずは説明から。

「零式艦上戦闘機(ゼロ戦)21型」
「昭和19年4月頃に生産された
末期の21型です。
既に後期型モデルである
52型の生産は始まっておりましたが、
この頃までは中島飛行機により、
21型も製造されておりました。
ゼロ戦の内部構造がわかる
貴重な資料として残すため、
できる限りのオリジナル部品を装着し
外板を張らない
骨組みの状態で展示しております。」
昭和19年でもまだ21型が
製造されていたことが、
ちょっと驚きですが、
陸軍の一式戦闘機「隼」も
後継機種が出たにも関わらず、
終戦間際まで製造されていた事を思えば、
当時の常識だったのでしょう。

空母エレベーター搭載のための
翼端の折りたたみ部。
昭和19年4月頃といえば、
もはや空母自体が少なく、
6月のマリアナ沖海戦で、
空母がほぼ壊滅した事を思えば、
こに次期に及んで、
翼端を折り曲げる工程に
虚しさを感じます・・・
後付けの知識があるから
そう思うのでしょうが・・・

20mm機関砲部分。
「1944年4月製造
中島飛行機製
21型92717号機」
このように記されています。

キャノピー内には、
操縦席も見えています。

空気取入口。

左前から。
こちらの翼端は伸ばした状態です。

キャノピー、左側から。

防弾装備のない翼内燃料タンク。
これを撃ち抜かれたら、
もうオシマイ・・か・・・
零戦52型
次に52型へ。

「零式艦上戦闘機(ゼロ戦)52型」
「強力なエンジンの搭載で最高速度は
21型より30Km/h向上の
560Km/hに達た
後期型モデルのゼロ戦です。
エンジンのパワーアップに伴う
大型化したエンジンカウリングと
折り曲げ機構のない主翼先端が
21型との大きな相違点です。
21型と違いを較べてみてください。
展示機は1,150馬力の最終型
「栄31型」エンジンを搭載しています。」

お尻を向け合って展示された
零戦52型(右)と21型(左)

右斜め前から。

エンジンカウリングの下半分を外し、
栄31型エンジンが
よく見えるようにしてあります。

さらに潜り込むと、
「昭和19年5月製造」と
記されています。
先ほどの骨組み21型と
わずか一ヶ月違いですね。

正面。

左前から。

左前からのエンジン近影。

左真横から。

尾翼の「豹187」は、
昭和19年ヤップ島で戦死された
内田栄二飛曹の機番だそうです。
21型の板谷少佐とこの52型、
ここに展示されたゼロ戦は、
戦死された方への感謝と敬意を込めた
「墓碑」であり、
「慰霊碑」にもなっているように
感じてしまいます・・・
これこそが、
飛行館の社長さんはじめ、
関係者の方々の先人たちへの
赤心なのでしょう・・・
(続く)