万徳院跡(広島県北広島町)
吉川氏の菩提寺
万徳院跡のパンフレットによると
「1574(天正2)年頃に、
この地域に勢力を広げていた
吉川元長(毛利元就の孫)が
建立した寺院の跡です。
当初は山中の谷あいにひっそりと建つ、
いわば別邸でしたが、
元長の死後、弟の広家が
吉川氏の菩提寺として
ふさわしい寺院を求め、
長い参道や石垣、
庭園、建物の増築などの
大改修を行いました。
しかし、1600年に
吉川氏が現在の
山口県岩国市へ移されると、
万徳院もこれに従い、
建物ごと移転しました。」
このように書かれ、
実際、現在の岩国市には、
移転後の万徳院が存在しています。
幸先良い出来事
吉川元春館の散策後、
いくつかの候補がある中、
広島駅まで戻る時間を考え、
もう一箇所巡るなら
どこへ行けばいいのか?
僕が迷っていた時、
指南役の妻が出した答えが、
万徳院跡への訪問でした。
吉川元春館から車で5分、
万徳院跡駐車場に到着。
見ると桜が満開ではないですか!
まずは、一番気になる桜へ。
いきなり記念撮影(笑)
そして、何気なく空を見上げると・・・
お~!
日輪(にちりん)が出ていますよ!
初めて見たかも?
逆光に向かって撮影してみましたが、
ちゃんと撮れていますね(笑)
桜に日輪、
幸先良いとは、このことでしょう!
万徳院跡ガイダンスホール
駐車場の先には、
こんな建物があります。
お寺のような形ですが、
外から見る限り、誰もいないようで、
鍵もしまっている気がします。
案内を見ると、
休館日ではないようなので、
思いきってドアに手をかけると、
開きました!!
これだけで、感激です(笑)
廃れた(失礼)観光地で、
昔の建物が放置されている例を
数々体験してきているので、
「多分ドアは開かない」と
思い込んでいたのです。
そして、中に入ると、
それ以上の感動が!
なんじゃこりゃ~!
めっちゃ綺麗な館内だし
ジオラマまで展示して
あるじゃないですか!
北広島町教育委員会、
グッジョブです(笑)
発掘現場の写真。
これを再現すると
こんな感じです。
分かりやすいですね。
このガイダンスホールは、
本堂を模した外観となっています。
ジオラマ。
やはり立体的な模型というのは、
イメージが湧きますね。
万徳院跡へ
いい意味で予想外だった
ガイダンスホール。
そのお陰で、
テンション上がった僕たちは、
ここのメイン、
万徳院跡への期待も
さらに膨らんでいました。
参道。
案内。
石垣が見えてきました。
石垣の構造は、
吉川元春館と似ていますが、
恐らく同じ石工集団が
携わったからなのでしょう。
石垣の石自体は、
吉川元春館よりも
小振りなものが使われていますが、
これは城館ではなく、
あくまでも「寺院」としての石垣なので、
防御思想もさほどなく、
また、権威を見せつけることも
あまり必要でなかったからだと
想像できます。
正面入口(門跡)。
中に入って振り返って入口を撮影。
入口(門跡)横から撮影。
復元された庭園。
本堂・庫裏跡。
霊屋跡。
奥の板塀前にも庭園があります。
風呂屋跡に再現された
実際に使える「風呂屋」。
詳しい解説付きのパンフレット。
福井県の一乗谷朝倉氏遺跡に次いで、
二番目に発見された
風呂屋跡だと書かれていて、
大変貴重なものであるのが理解できます。
「現役の蒸し風呂」として使われ、
毎月1回、一般の人が実際に
蒸し風呂体験が出来るという、
全国唯一のものでもあります。
ここでも北広島町教育委員会、
頑張ってますね!
裏に回ってみると
「現役で稼働」している
証拠である薪が、
山積みされています。
風呂から見た万徳院跡全景。
風呂バックに(笑)
自撮りツーショット。
容光院墓所
次に、吉川広家の正室、
容光院の墓所へ。
かなり立派な墓所です。
参拝。
こちらは墓所から20mほど西側の
旧容光院墓所。
案内には、
江戸時代の終わりごろ
現在の場所に改葬されたと
書かれています。
墓所から駐車場への帰り道、
椿の花が沢山落ちていたので、
妻の赤シャツ(笑)との
コラボツーショットで〆。