2019/08/12

松倉豊後守重政之碑(2019年夏旅)

 

名君、それとも・・・

松倉豊後守重政。

豊後守は役職名ですから

ここでは、松倉重政と言います。

僕は以前、長崎県の島原城に行った時から

この人に僕はとても興味がありました。

島原では圧政と過酷な搾取や

キリシタン弾圧など

「最悪の領主」として名を轟かせ、

島原の乱の主因を作った大名です。

ところが・・・・

島原に転封になる以前に統治した

奈良県の五條では、

町を繁栄に導いた名君として

今も住民から尊敬され、

しかも顕彰碑まで建てられているのです。

一人の人物が、何かのきっかけが

あったのか無かったのか、

これほど人格が変わるものなのでしょうか。

その五條に建てられた顕彰碑は、

十五社の楠と同じく、

丹生都比売神社からホテルに向かう

途中の場所にあるという事が判明し

これは行ってみるしかないと

思った次第です。

新町松倉公園へ

十五社の楠から

Google先生に導かれる事約10分、

明治、大正時代に

タイムスリップしたかのような

街並みの中に新町松倉公園を発見。

街並みの案内。

公園前の通り。

なんとこれ、美容室ですよ!

公園隣のお店。

公園前の古い建物。

新町松倉公園全景。

凄いですよね、

「松倉」という名を冠した公園ですよ!

本当に慕われているからこその

ネーミングでしょう。

裏に書かれている一部を抜粋します。

「四百年の昔、一人のとの様によって

吉野川に沿った長い一本の道が作られ、

「新町」と名付けられました。」

この新町が、五條繁栄の元になったのです。

松倉豊後守重政の顕彰碑。

ここでの素晴らしい功績が、

綴られています。

後年、島原へ転封になった事だけ

書かれていますが、

そこでの話は書かれていません・・・

その島原城に行った時の写真が、

こちらになります。

松倉重政が建てた島原城。

復元天守ですが、

これ以外に、石垣やお堀などの多くの遺構が

しっかり残っています。

領民の辛苦の元に出来たのでしょうが、

お城好きにはたまらなく素敵なお城でした。

散策の最後に、

新町松倉公園から吉野川河畔へ

歩いてみました。

夕景間近の吉野川。

心癒される風景に心も和みます。

ここを訪れて思ったのは、

人を一面だけで評価するのは

難しいということです。

あの豊臣秀吉だって、

前半生は明るく、寛容で、

敵方の大将の命さえも

助けるくらいだったのが、

後年、甥の豊臣秀次を切腹させたり

秀次に関係する子女を皆殺しにしたりと

全く別人物のような残酷な行動も

とっていますから・・・

きっと人は「環境と地位」によって

それを守ることに必死になるほど

残酷になるのかも知れません。

新町松倉公園の顕彰碑のお蔭で、

人を一面だけで

評価してはいけないことを

改めて心に刻むことが出来ました。

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください