宮崎神宮(令和4年4月)

 

予定外の参拝

3年近く前、令和元年の旅で、

宮崎神宮を参拝していた事もあって、

今回の旅では、

訪問予定には入れてませんでした。

ところが、グーグル先生に導かれ

宮崎ファイブシーズホテルから

高鍋城へと車で向かう途中、

たまたま道路脇に見えたのが、

宮崎縣護國神社の鳥居です。

妻は護國神社への思いが

めっちゃ強いので、

「前にも参拝しているけど、

ちょっと参拝する?」

そう僕が言うと

「するぅ~!!」

と元気なお答えが(笑)

だったらお隣の宮崎神宮にも参拝し

神武天皇様にもご挨拶しようと

急遽、2社の参拝が決定。

予定外とは言いながら、

結局は2社で1時間も滞在し

早朝の神社の清々しさを

心ゆくまで味わえた事、

素晴らしい思い出となっています。

参道

この日、宮崎市内では入学式があったのか、

神社の駐車場近くを

多くの学生や親が行き交っていて、

車、停めてもいいのかな?

そう思って誘導員に尋ねると

「どうぞ」と案内されたのは、

車祓所前の駐車場です。

ここから、参道はすぐ間近。

時間節約の為、

参道の中間点からスタート。

参道半ばあたりから社頭方面を撮影。

何度見ても、この参道、

明治神宮の雰囲気に似ています。

振り返って本殿方面を撮影。

手水舎。

柄杓を無くしたコロナ禍仕様に

変更されていますが、

足元の竹と手水鉢の竹のデザインが

見事に統一され、水の出方も完璧です。

神門へ。

荘厳な雰囲気に

気が引き締まります。

神門手前右側。

「昭和36年10月22日

北白川房子元神宮祭主 御手植 樅」

神門手前左側。

「明治32年4月3日

東伏見宮依仁親王殿下

御手植 杉」

大きさの比較で妻も登場(笑)

神門。

一気に空気が変わる遥拝殿前。

誰もいない早朝の神域を

動画でも撮影。

遥拝殿へ。

神武天皇とその父母神、

鵜葺草葺不合尊と玉依姫命に参拝。

遥拝殿の先に見えるのが拝殿。

暗い拝殿の真ん中から見える

本殿扉に太陽光が射し、

僕たちの視線はそこに集中・・・

勝手な思いながら、

神様に歓迎していただいた気がします。

ここでツーショット。

妻の「○」はこちらを意味します。

神門扉の十六弁八重表菊。

東神苑

参拝を終えて駐車場に戻る途中、

こんなものを見つけました。

「東神苑の大白藤」

へ~ここにも白藤があるんだ~!

宇和島城近くの天赦園で見た

池に架かる白藤を思い出しました。

白藤が広大な東神苑のどこにあるのか、

また、咲いているのかも分からないし、

限られた時間なので、

白藤はさておき、

東神苑はちょっと覗いてみる事に。

仁王像。

「猿蓑塚」(さるみのづか)

新しい案内板を要約すると

「猿蓑塚は、文化八年(1811)

宮崎郡江平の里の豪商

太田芳竹(ほうちく)が

俳諧の仲間と建立した句碑です。

句碑は高岡町去川の自然石をつかい

碑文は京都の俳人、

五斗庵二世瓦全(がぜん)に

依頼したといわれています。

松尾芭蕉没後百数十年後の文化年間、

日向(宮崎)の俳壇は

正風(芭蕉の作風)が深く浸透し、

芭蕉の月命日には句会を開き、

芭蕉翁の句碑にお参りをしていましたが、

芳竹と仲間たちの近くには、

句碑がない事を嘆き、宮崎神宮に

猿蓑塚を建てました。

芳竹は、「猿蓑塚」を建てるにあたり、

「猿も小蓑」の句が

正風確率の契機になったとして、

碑を建てたと言われています。

芭蕉は、元禄二年(1692)

九月下旬故郷へ向かい、

伊賀越えする山中で、

時雨に震える猿の姿を見て

「初時雨 猿も小蓑を ほしげなり」

と詠んでいます。

この句をもとに、

連歌集「猿蓑」の表題となりました。」

このようになります。

実はここに書かれた

「高岡町去川」とは

僕たちもご縁があります。

それは令和元年の秋に

国指定天然記念物である

去川のイチョウ」のライトアップを

見ているからです・・・。

ここでご「去川」と縁が繋がるとは、

「去」は「猿」に通ず(笑)、

やはりお猿さん、

それに、芭蕉さんと宮崎神宮の

お導きでしょう!

建立から200年の歳月で、

刻まれた文字は薄くなってはいますが、

確かに「猿蓑塚」と読めます。

そしてこの後は、ジブリの世界へ(笑)

古い建物と鬱蒼とした木々、

なんとなくジブリの世界っぽく感じます。

なまこ壁だけど洋風な建物・・・

いったいこれは・・・

正面に回ってみると

案内板があります。

「宮崎神宮徴古館」

案内を書き出すと

「宮崎神宮の宝物や書籍を

陳列・保存するため、

明治42年に建築された

木造2階建ての建物です。

外壁全体を覆う「なまこ壁」が、

独特の光景を生んでおり、

慶應義塾大学三田キャンパスにある

三田演説館(国の重要文化財)と

非常に似た造りである。」

このようになります。

三田演説館をWikipediaで調べると、

こちらは明治8年に建てられていて、

外観は確かに似ていますので、

それを模して建てられたのかも

知れませんね。

今回、予定外の

宮崎神宮参拝でしたが、

新たな発見もあり、

心のままに行動することの

大切さを改めて教えて貰い、

参拝のきかっけを作ってくださった

護國神社の御英霊の方々には、

心から感謝しています。

 

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