賤ヶ岳(滋賀県長浜市)特別偏

 

人智を超えた力

賤ヶ岳では、この旅の幸運が、

思い切り凝縮されました(笑)

雨からの~

抜けるような青空!

こんな、

天気の劇的好転もさる事ながら、

やはり幸運の核心は「人」でした。

僕は人に緊張するタイプなので、

正直、出会いを求めたり、

現地の人との交流などは、

望んではいませんが、

人智を超えた力が働くのか、

何故か、常に出会いは、

やってくるのです(笑)

ボランテァガイドとの遭遇

賤ヶ岳リフトを山上駅で降り、

少し歩くと、いきなりの絶景です!

雲が琵琶湖に映って、

素晴らしい景観を作り出しています。

賤ヶ岳の山頂へと向かっていると、

山を下って、

リフトに向かう男性と遭遇しました。

深い交流を望まない僕なので(笑)

軽く挨拶して去ろうとすると、

「私、ボランティアガイドなんです」

続けて、

「雨が降ったり、

朝からずっと天気が悪くて

人が来ないから、

今、山を下りようとしていたんですが、

良かったらガイドさせて貰えませんか?」

そう言われたのです。

あ~やっぱり

ここも雨が降っていたんだ・・・

そう思いながら

これも「人智を超えた力」(笑)、

そして、

日本のアンデルセン、

久留島武彦さんが作った、

チャンスはハゲおやじ」の

格言も同時に頭をよぎり、

即、ガイドをお願いする事に。

実はこれが、

賤ヶ岳最大の幸運だったのです。

やはり人なんですね~人生は(笑)

中川清秀

僕たちが興味津々な事もあってか

ガイドさんは、

かなりマニアックな話までしてくださり、

中でも、緒戦で討死した

豊臣方の武将、

中川清秀についての

驚きの事実を教えて貰った事が、

もっとも印象に残っています。

中川清秀を討ち取ったのは、

柴田軍の猛将、佐久間盛政で、

賤ヶ岳の敗戦後、

秀吉により斬首されています。

ところが、

後年、秀吉の命により、

清秀の次男、中川秀成ひでしげは、

佐久間盛政の娘と

結婚したというのです。

父の仇である娘と結婚とは、

初めて知って、ビックリでした!

「その後、中川秀成は

豊後岡藩の藩主となり、

中川家は幕末まで続いていますよ」

そんなお話もいただき、

景色そっちのけの盛り上がりに(笑)

僕たちが以前訪問した中川家の居城、

大分県豊後竹田氏の岡城

ガイドさんも行かれたそうで、

「岡城の高石垣、凄いですよね~!」

なんて、

ここでもまた、お互いに共鳴。

ガイド

実際のガイドは、

まず、座学からでした(笑)

賤ヶ岳合戦図を教科書にして、

当時の戦況を詳しく教えていただき、

賤ヶ岳の戦いの全容が

ようやく掴めた感じです。

こちらは、

いただいたパンフレット。

中面。

秀吉と勝家の陣地が良くわかります。

こちらは手のひらサイズのカード。

表裏一緒に撮影。

これも思い出の一つですね。

み~な

20分ほど座学(笑)した後、

ボランティアガイドさんと別れ、

周囲の散策をしたのですが、

途中、ガイドさんが戻ってきて、

こんなものをくださったのです。

10年ほど前に発行された、

賤ヶ岳合戦の記事が満載の雑誌、

「み~な」です。

正直、ビックリしました!

きっとボランティアガイドさんが

大切にされているものでしょうから。

申し訳ないとは思いつつ、

感謝していただきました。

こうして、

賤ヶ岳の思い出が、

奇跡的な青空とともに「形」として

僕たちの心に、

永遠に残る事となったのです。

ガイドさん、

本当にありがとうございました!

(本編に続く)

 

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