陸奥稲荷神社(2019年福山の旅)
名前の由来は・・・
広島県で、
「陸奥」という名前が付く神社に
出会うとは不思議です。
陸奥は、「むつ」と読むのか、
「みちのく」と読むのか分かりませんが、
やはり陸奥=東北という意味に思えます。
御由緒などは見当たらなかったので、
何か他に陸奥に関係するものがないか、
考えてみたら・・・
思い出しました!
同じ瀬戸内海の山口県大島付近で
一瞬で謎の爆沈をし千人以上が
殉死(戦死か?)した
戦艦「陸奥」(むつ)があった事を・・・
しかし、その乗組員を慰霊している気配は
全くありませんし、沈没地点からは
離れすぎているので、
これも関係ないでしょう。
そして調べていくうちに
ここが地元の人には「あなばさん」と
親しみを込められ呼ばれている
神社だという事がわかりました。
しかし「あなばさん」は、陸奥稲荷に向かって
左側にあ「穴葉稲荷神社」の事で、
陸奥稲荷神社に対してでは
無いようですので、
名前の由来は分からない
というのが今の結論です。
陸奥稲荷神社
大波止の付け根あたり、
大可島城の麓に神社はあります。
鳥居の神額では神社名は確認出来ません。
いくつかのお稲荷様を祭っているから
どれか一つを書くことが出来なかったのか、
消えてしまったのか・・・
破損し、修復されながらも
大切にされ、
ずっとここに置かれているようです。
阿形も修復されながらも
ここで神様を守り続けています。
陸奥稲荷神社の拝殿と本殿。
海の向こうには仙酔島が見えています。
この御社殿は、10年位前の台風で
大きな被害が出たようですが、
地元の方々の寄付などにより
立派に修復されています。
この両脇には境内社があります。
左の石段が見える境内社の
そのまた左にさきほど書いた
「あなばさま」が鎮座しているのですが、
参拝時は文字通り僕にとっての
「あなば」で、写真も撮っておりません(汗)
しかも後で調べると、
「あなばさま」と言われる由来になった
背後の石垣の「穴」もあったのです・・・
見た目が、小さな稲荷神社だし
勝手に寂れたように感じ、
心の底では、「ここは何も無さそう」
そんな慢心があったのは間違いありません。
やはり神社も規模や見た目で判断しては
大きな間違いですね!
金毘羅大権現遥拝所。
ここの延長線上に、香川県の
金比羅宮が鎮座しているのでしょうか。
実はこの背後の崖の下あたりは
大可島城を本拠にしていた頃の
村上水軍の船が、
隠されていた場所だったそうです。
ここも撮り忘れていますね(汗)
本殿向かって右側の境内社。
参拝。
陸奥稲荷神社と大可島城をバックに撮影。
あなばさまを見落とし、
村上水軍の船の隠し場所を見落とし、
そして、この神社のすぐ上にある
船番所跡や石垣も見落とし、
ここの神様も僕たちに
「是非、また来てね~!」
と言ってくれているようで、
鞆の浦、再度チャレンジするしか
無さそうです(笑)