日光東照宮(日光市)神厩

 

主役は猿

「神厩」(しんきゅう)とは、

神社における厩(うまや)の事で、

その中で飼われている馬を

「神馬」(しんめ)といいます。

しかし、

日光東照宮の神厩での主役は

神馬ではなく、「お猿さん」(笑)

お馬さんの影が薄いのは、

建物に彫刻された

「見ざる言わざる聞かざる」の三猿が、

あまりにも有名だからで、

僕もお馬さんを忘れて、

お猿さん達に見入っていました。

神厩しんきゅう

表門から境内に入り

参道右側の上神庫や鉄製燈籠を巡った

前回のブログに続き、

今回は参道「左側」のお話です。

お猿さん、

いや、神厩へ(笑)

神厩全景。

やはり注目は長押なげしの上に配置された

お猿さんの彫刻です。

「重要文化財 神厩」

案内を書き出すと以下になります。

「屋根は前切妻、流造。

妻の飾りと長押上の彫刻などの他は

彩色が施されていない

境内唯一の素木そぼく造の建物である。

内部右側は馬を扱う

役人のための詰所で畳敷き。

長押上には子供を悪事から

遠ざけるべきことを教える

「見ざる言わざる聞かざる」の

三猿を初め

猿の一生をもって人間の生涯を風刺した

8面の彫刻が施されている。

東照宮の初代神馬は家康公の

関ケ原の戦い時の乗馬「立黒たちぐろ」で、

その後は大々将軍家より奉納された。」

8面それぞれの案内。

そして、一面ずつ確認。

神厩の一番左、

子猿と、子供の将来を想う親猿。

こちらが超有名な「三猿」。

小さい時は、変なものを見たり、

聞いたり、言ったりしない。

子供はそんな環境で育てるのが

良いということでしょう。

孤独な自立の時。

志を高く持てと上を見る猿。

身の程を知ると言う意味でもあると

書かれています。

慰める、あるいは励ましている猿。

右は結婚の決断をする猿、

左はまだ独身を謳歌中の猿(笑)

二人で力を合わせて

人生の荒波を乗り越える。

結婚した二人が家庭環境を整え、

子宝に恵まれ、親になり、

最初の面の子育てへと遡ることになる。

(そして永遠の生命が受け継がれていく)

水屋

一般的には「手水舎」ですが、

ここ東照宮では「水屋」の名称で

呼ばれています。

手水の使用は禁止ですが、

見学は大丈夫のようです。

「重要文化財 水屋」

案内は以下になります。

「元和4年(1618)

鍋島勝茂候(35万石)よりの奉納。

花崗岩の水盤を中央に配し、

水を使うことを考慮し

柱は腐らぬよう花崗岩で作られている。

屋根は唐破風。

正面の台輪の上には立浪の彫刻、

虹梁の上には

波に飛龍の透彫が配されており、

桃山時代の豪快な彩色の

代表的な遺風とされる。」

これと同じく、

徳川家光さんの霊廟、

輪王寺・大猷院の立派な

「御水屋」(水屋)も

鍋島勝茂の奉納です。

関ケ原では当初、

石田三成の西軍にくみし、

黒田長政のとりなして

途中から東軍に転じ、

運良く家康からの

「お咎め」もなかった勝茂さんは、

その時の「やばい出来事」も考えつつ、

黒田長政の石鳥居

伊達政宗の鉄製燈籠と同じく、

「超豪華版水屋で爪痕を残す」作戦で

徳川家への忠誠心を形にしたのでしょう。

大名達の

幕府への気遣い方が、

実によくわかる参道です(笑)

水屋の天井内部。

眼が眩むほどの煌びやかさ!

斜めから、石造の五重塔と共に。

輪蔵(経蔵)

参道の左側最後の見所は

輪蔵(経蔵)です。

二の鳥居から陽明門を望む。

ここをくぐって、

左側に輪蔵はあります。

正面。

「輪蔵」

「天海版の一切経を収めた建物で

経蔵という。

内部には輪蔵といわれる

八角形の廻転式大書架がある。」

要するに見えているのは「経蔵」で、

中にあって見えないのが「輪蔵」ですね。

ここから陽明門、

拝殿、本殿へと向かいます。

(続く)

 

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