丹生神社(大分市)
丹生(にう)という名前
神社名で「丹生」と付けば、
僕たちがまだ参拝したことがない、
奈良県の丹生川上神社、
丹生川上神社上社、
丹生川上神社下社という
神武天皇の東征に関連する神社や、
和歌山県の丹生都比売神社など、
近畿地方の神社を思い浮かべますが、
「丹生」がつく神社は、
九州にも数社は、存在しているようで、
その中の一社が、大分市の丹生神社です。
参道
駐車場は、本殿のすぐ近くですが、
いつものように、
一の鳥居まで戻り、
そこから参拝スタートです。
たまに、一の鳥居まで
戻る気力が無い時もありますが、
この日は、ここに来る前に参拝した
神様のパワーがみなぎっていたのか、
気力は充実し、
何のためらいもなく社頭へ(笑)
丹生神社の社号標と神橋。
一の鳥居。
出征兵士の奉納だからか、
神額には陸軍の星マーク
(五芒星)が入っています。
さらに参道を進みます。
石垣
お城の石垣が大好きな僕は、
神社の石垣も気になります。
かなり立派な石垣が見えてきました。
枠部分は切込み接ぎで、
中の部分には、小さな石を使い、
野面積み的な構成となっているのは、
デザインとしての意図があったのでしょう。
まさに、「機能美」というやつですね!
御社殿へ
石段を上り二の鳥居へ。
しめ縄、両柱の榊など、
宮司さんの気持ちが伝わる、
完璧な姿ですね。
鳥居の左側の社務所。
手前には
「恵日山 来迎寺跡」の石碑が建てられ、
ここは神仏習合時代、
お寺だった場所だと教えてくれます。
また、案内板を立て
明治三年、神仏分離で廃寺になるまでの
神社の歴史にお寺があった事を
参拝者に教えてくれます。
過去を肯定し、今がある・・・
この案内を出された
神職さんのお気持ち、
大いに共感するところです。
手水舎。
「丹生神社 御由緒」。
僕が興味ある点を中心に(笑)
超訳してみると
「鎌倉初期の建久七年(1196年)
大友氏が豊後下向の際、台風に遭い、
船が難破寸前となった時、
丹生大明神の霊威により助かった事で、
ここに丹生神社を造営。
また、建武二年頃(1335年)、
足利尊氏下向の時、参詣戦勝祈願し、
寺領を寄進している」
尊氏さん、筑前国多々良浜の戦いで
勝利して復活する1年前位に、
ここでも戦勝祈願をしていたんですね!
随神門。
拝殿。
本殿。
本殿真横から。
ここでツーショット完了。
境内社など
次に境内社へ。
本殿左横の稲荷社。
案内を要約すると
「享保九年(1724年)
伏見稲荷大社より勧請。
現在の社殿は、丹生神社の元の本殿で、
昭和五年(1930年)の大改築の際、
当社に移したもので、
寛文六年(1666年)
臼杵藩主稲葉信通公のご寄進による
貴重な文化財である」
このように書かれています。
そんなに古くて貴重なものが、
文化財指定されないのは
いったい何事じゃ~(笑)
忠霊塔。
金刀比羅社と祖母山社。
「原石 朱沙(しゅさ)」
案内によると
「丹生郡より朱沙を
朝廷に献上している地名を
赤迫といいこれが「丹生」の地名の
起源と言われている。
その原石の一つが
丹生神社の社地(佐野山)に
据えられているのである。
尚、この原石こそ丹生大明神の
御神体ではないかとの説もある」
このように書かれています。
ここからさらに石段を上ります。
享保四年(1719年)建立の
一石一字石塔。
別の場所からの移設ですから
地中に石は埋められていないかも?
観音堂。
丹生大明神の本宮跡に建立され、
西国三十三所を祀っています。
お供えされた、
新鮮なピンポンマム(キク科の花)
見た目も可愛らしく、
花言葉も、「君を愛す」「私を信じて」
「真実」などと言うのもあってか
ブライダルの仕事をしていた時は、
結婚式のブーケでいつも見ていました。
やっぱり癒やされますね~
ピンポンマム(笑)
丹生大明神 本宮跡の石碑。
案内には、
大友氏が社殿を造営するまでの
鎮座地と書かれています。
今日の発見
本殿玉垣の瓦にあしらわれた鯉を発見。
滝のぼりをしている姿でしょうか?
かなり珍しいものですよね!