沼島八幡宮(兵庫県・沼島)

 

神様と人の橋渡し役

沼島ぬしま八幡宮を参拝して思ったのは、

この神社に参拝する為に

この島に呼ばれたのではないかという事。

それほどまでに、

神様と人の橋渡し役である

宮司さんの大いなる優しさを

感じるお社です。

実際にお会いした訳ではないのですが、

神道の根本である

浄明正直じょうみょうせいちょくの言葉通りに、

「きよく、あかるく、ただしく、すなお」の

実践が、僕をこんな気持に

させてくれるのでしょう。

沼島で一番の目的だった

上立神岩を大きなアンテナとして(笑)

神様がここに導いてくれたのかも

知れませんね。

参道

山上のおのころ神社から

歩いて10分ちょっとで、

沼島八幡宮の参道に到着。

海を背後にして撮影。

神社は小高い山の中腹に見えます。

「沼島八幡宮」

案内を抜粋すると、

「御影石の石段が、

神門から上が三三段の女坂、

下が四二段の男坂と呼ばれています。

海上安全、四季豊漁の神様です。」

同じ石段で「男女」の名称がつくのは、

ちょっと珍しいですね。

一の鳥居から男坂が見えています。

古い手水鉢と井戸。

神馬。

案内によると、

昭和8年に奉納されたものは、

昭和19年、金属供出で徴用され、

復活したのは、平成二年です。

多くの神社で金属供出された神馬の

台座だけが残ったのを見てきましたが、

40年経って再建されたこの神馬は、

ある意味幸運の神馬なんでしょう。

天保十四年(1843)建立の燈籠。

柱には「はも縄中」の文字が刻まれ、

鱧漁の人たちからの寄進とわかります。

沼島の名物でもある

鱧料理が180年以上前から

盛んだった事を知れて、

ちょっと嬉しくなりますね(笑)

石段右横の海積神社。

石段左側の恵美須神社。

神門。

女坂。

文化十年(1813)寄進の狛犬。

吽形。

吽形の背中越しの景色。

すぐ横には、

展望所まで設えられていて、

おもてなし感満載です。

展望所の反対側の

大きな御神木と妻。

御社殿

石段上の境内に

御社殿が鎮座しています。

拝殿。

天明六年(1786)の寄進の燈籠。

左側も同じ年の寄進です。

手水舎。

清浄な水が流れるタイプの手水鉢。

柄杓にホッとするのは、毎度の事(笑)

そして、

参拝前に目に入ったのが、

こちらの額です。

内容を書き出すと、

次のようになります。

「沼島は小さな島で

今は四百五十人しか住んでいません。

昭和の時代まで大変栄え

四千人もの人々が暮らしていました。

子どもの人数が極端に少なくなり、

昭和の頃は二百人を超えていた子どもが

今は十人前後です。

どうぞ皆さんの力で少しでも多くの方々が

ご来島下さいますようお力添え下さい。

その時には「沼島の神社では

無料で名前をあげて拝んでくれますよ」と

あなたのスマホで広めて下さい。

よろしくお願い致します。 宮司」

・・・・

言葉がありません・・・

宮司さんの沼島と

参拝者への比類なき愛情。

たまりませんね・・・。

参拝。

ここで本殿両脇に

狛犬らしきものを発見!

失礼して拝殿に

上がらせていただきます。

本殿狛犬。

吽形。

素晴らしい!

拝殿内右側の境内社に参拝。

左側の境内社。

沼島八幡宮の夏祭絵馬。

国生みの絵馬。

沼島全景の絵馬。

そして、

注目したのが

こちらの真ん中に掲げられた

大きな絵馬です。

「賤ヶ岳大合戦」

何故にこんな絵馬があるのかと

よく見てみると、

輪違いの旗印が目に入ってきました。

ということで、中心の人物は、

脇坂安治さんですね。

淡路島の洲本城主になった人なので、

関係があることは分かりましたが、

拝殿前の詳しい案内で、

さらに深い事を知ることが出来ました。

「なんで正面に「賤ヶ岳合戦」の

絵馬があるの?」

こう題された案内。

書き出すと次のようになります。

「「沼島」と「賤ヶ岳」、

一見少しかけはなれた感じのする

絵馬ですが、

実は沼島が歴史上

ずうっと海路の重要拠点として、

その名を残してきた

証となる出来事なのです。

沼島は古くは国生み神話の舞台となり、

「おのころ島」として

古代大和朝廷の時代から

表舞台に登場してきます。

奈良・京都・大阪は古くからの都であり、

海や川は最も大切な交通手段でした。

大阪湾全体が、その時々が、

その時の権力者にとって

いかに重要な海路であったか、

おわかりいただけると思います。

源平の時代にも、平家には

瀬戸内海を守る村上水軍がいたからこそ、

その権力を手中にできたのです。

(中略)

さて、時は戦国、

後の豊臣秀吉は明智光秀を討ち、

先輩格の柴田勝家と

雌雄を決する戦いとなりました。

秀吉にとって生涯で一番の大戦でした。

その時、子飼いの若い武将達が

大活躍をしました。

それが後に「賤ヶ岳の七本槍」と

呼ばれるようになったのです。

この絵馬の主人公、

脇坂甚内安治もその一人です。

この合戦で勝利をおさめた秀吉は、

安治を「淡路守」に任じます。

淡路守の一番の役目は

奈良・京都・大阪を守るために

大阪湾という海路を見張る役目です。

そのため海路の出入り口にあたる沼島を

大切にする必要がありました。

沼島の人々は昔から漁師として働き、

時には「沼島水軍」として

海路を守る役割を担っていました。

秀吉は晩年「朝鮮半島出兵」という

暴挙を全国に命じます。

安治も沼島水軍とともに

朝鮮半島に渡ります。

七年もの長い戦いで、

無事帰国出来た安治は、

「沼島水軍」のお陰と感謝したそうです。

沼島水軍として東シナ海を見てきた人々は、

後々「よそいき」と言われる船団を組んで

一大漁業を展開する基礎を築きました。

後に「沼島千軒金の島」と呼ばれるほど

豊かな島になったことは、

この脇阪甚内安治公のお陰でもあり、

「沼島底曳網組」が代々

この正面絵馬の奉納を続けています。」

脇阪甚内安治さんは、

一般的に脇阪安治と呼ばれ、

淡路島の洲本城主となった後、

伊予大洲、

その後、子孫は龍野藩主となり

明治維新を迎えています。

朝鮮出兵で遠洋漁業の基礎が出来、

その後の沼島繁栄の元になったとは、

やはりピンチはチャンスなんですね!

拝殿左から本殿へ

檜皮葺の本殿に参拝。

反対側からも撮影。

拝殿前にてツーショット。

御朱印

宮司さん宅でいただいたのは、

こちらの二種類の御朱印です。

先に参拝した「おのころ神社」

そしてここ、「沼島八幡宮」。

達筆で、素晴らしい御朱印です。

今日の癒やし

石段の隙間から生えて、

綺麗に咲いた花に癒やされました。

宮司さんご夫妻の

優しいお心が、

この花からも

ひしひしと伝わってきます。

 

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