輪王寺・大猷院(日光市)中編
家光さんの功績
徳川家光の霊廟である大猷院。
こんな広大な場所に眠る
家光さんの功績って何だろう?
ちょっと考えました。
まずは、フクロウなど、
多くの絵を描いて、
家臣や大名達にプレゼントしていること。
これは、
知られざる立派な功績でしょう。
将軍様直筆の絵を貰えるなんて、
これほどの栄誉はありませんし、
「絵を貰ったから頑張ろう!」
なんてヤル気にも直結しますしね。
また、一般的に有名なのは、
鎖国や参勤交代などですが、
お城好きにとっては、
やはり「正保の城絵図」でしょう。
正保元年(1644)、
大名統制を強化するために
各藩に対し詳しい城絵図を提出させたもので、
これにより当時の城が
どんな縄張りで、どんな建物があったか、
よく分かります。
そして、絵の描き方について、
細かい規定を設けず、
結果、藩ごとのオリジナリティー溢れる
絵図が作成されることとなったのは、
家光さんが
「既成概念にとらわれない絵心」が
あったからかも知れません。
勿論、これらの城絵図は全て
国指定重要文化財となっています。
こちらも家光さんの大名統制策として、
歴史の教科書に
是非掲載してほしいものですね(笑)
二天門
仁王門をくぐり、手水完了後、
二番目の門である二天門へ。
石段下から見た二天門。
「二天門(にてんもん)」
以下、案内です。
「世界遺産、日光の境内で
1番大きい門です。
左に持国天、
右には増長天が祀られています。
正面の「大猷院」の額は、108代天皇の
後水尾上皇により書かれた文字です。
「大猷院」とは、家光公の戒名
《大猷院殿贈正一位大相国台霊》の
最初の三文字をとったものです。」
簡潔な文章に、知りたいことが
全部まとめられていますね!
二天門とは「持国天と増長天」の
「二天」からの名前と推察します。
家光さんは、後水尾天皇(後、上皇)の
二条城行幸のために、
おじいちゃんの家康が建てた二条城に
新たな天守を据えたり、
二の丸御殿を新築同様に
造り替えたり、
広大な庭園を作ったりと大改修し、
ありとあらゆる、
おもてなしをしています。
また家光さんの妹は、
後水尾天皇に入内しているし、
それ以前には、
家康さんのバックアップで、
天皇に即位していることを思えば、
ここに掲げられる額の文字として、
最も相応しいものと感じます。
二天門近影。
東西南北を守護する神仏の案内。
まずは、表側の二体です。
「増長天」
「持国天」
次に門の裏側の二体。
「雷神」
「風神」
裏側(霊廟側)から見た二天門。
とにかく豪華です。
そして、この門の前には、
こんな案内があります。
「「幡」の礎石」
以下、案内です。
「大法要などで境内に掲げる
仏教様式の旗を「幡」、
それを吊す竿を「幢竿」といいます。
この特徴ある丸い石は、
幢竿を立てる基礎石を護るための
蓋となっています。
境内には同様の基礎石が
80箇所あります。」
こんなマニアックな
詳しい案内があるとは、
ありがたいことですね!
蓋の丸い石は、
何かの形に似ています(笑)
これは亀さんじゃないですか!
こんな素敵なユーモア、
旅先ではホント癒されますよ!
これを見て、
6年ほど前に訪問した大野城で見た
ベンチに置かれた
葉っぱを思い出しました。
葉っぱで作った
笑顔、普通の顔、怒った顔。
この葉っぱ、
今も僕の心に刻まれています。
(妻は忘れているはず・・笑)
ちょっと横道にそれましたが、
話は大猷院に戻ります。
石段を上り・・・
途中振り返って二天門を撮影。
夜叉門
石段を上り切ると、
いきなり見えてくるのが、
こんな光景です。
お〜何かすごいな〜!
鐘楼。
袴腰も超豪華版ですね!
鼓楼。
「鼓楼・鐘楼」
案内は以下になります。
「右側に鐘楼、
左側に鼓楼が聳えます。
鐘楼には釣鐘が、
鼓楼には大きな太鼓が
おさめられています。
大きな法要の際には、
この釣鐘と太鼓が
打ち鳴らされました。」
石段を登って改めて鐘楼を撮影。
屋根は家光さんが建てた
江戸城の天守と同じ、
銅瓦葺の豪華版です。
こちらは鼓楼。
夜叉門へ。
「夜叉門」
案内は以下の通りです。
「4体の夜叉(阿跋摩羅、毘陀羅、
犍陀羅、烏摩勒伽)が祀られ、
霊廟を守ります。夜叉門には、
牡丹の花が彫刻されているので、
別名「牡丹門」とも呼ばれています。
中でも青い「烏摩勒伽」は、
破魔矢の発祥とされ、
全国でも珍しいお姿です。」
唐破風の向拝。
唐獅子と牡丹の花、
そして多くの細やかな葵の御紋が
あしらわれています。
天井も息を呑む豪華さ。
ここにも牡丹の花は満載ですね!
夜叉門案内で
紹介されていた夜叉たちの案内。
阿跋摩羅。
毘陀羅。
犍陀羅。
烏摩勒伽。
そして、遂に最後の門、
唐門から本殿へ。
(続く)