2017/12/31
麟翁寺(りんのうじ)(福岡県嘉麻市)
益富城に関連する遺構
今回の嘉麻市の旅は、
かなり濃いものとなりました。
このごろ良く使われる表現
「恋旅」(こいたび)に対抗して
「濃旅」(こいたび)を
提唱したいと思うくらいの濃さです(笑)
一眼レフカメラの
多様なレンズにはまってしまい
ついついお金を使ってしまうことを
「レンズ沼にはまる」と言いますが、
お城のディープな世界に
はまってしまった僕を
何と呼ぶのでしょうか?(笑)
そんなディープな世界の一つが麟翁寺です。
麟翁寺へ
益富山の麓、北斗宮の斜め前
(ご近所さんです)に麟翁寺はあります。
ここでの見所は2つ
一つ目の見所は廃城時に移設された
益富城の搦手門(からめてもん)
(搦手門とはお城の裏門のことです。)
二つ目は益富城の城主で、
黒田節で有名な
母里太兵衛(ぼりたへえ)のお墓
麟翁寺のエントランス
案内によると、この麟翁寺という名前は、
以前からあった永忠寺という名前を
母里太兵衛の戒名
「禅居院殿麟翁紹仁大居士」にちなみ
改称したそうです。
エントランスの先にあるのが
益富城の搦手門です。
もっと古い物を想像していましたが、
今も現役で使用されているだけあって、
メンテナンスもバッチリで
綺麗に保存されているのには感動しました。
そして、
ここにもありました!「KAMAHAME」
大酒を飲んで槍をGETした
母里太兵衛とは正反対の
すこぶるお酒に弱い僕の顔を
KAMAHAMEHA〜!(笑)
本堂に参拝
本堂から振り返って見る搦手門。
よくぞ取り壊さず、
ここに移設してくれたもんだと
当時の為政者に勝手に感謝。
ここから裏のお墓へ向かう途中のお
堂にあるのがこちら。
母里太兵衛が福島正則から
「飲み取った」日本号についての説明と
その日本号のレプリカです。
こんなに大きいと持てないし
使えないじゃないの?と思ったら
説明にこれは実物の槍の先を
3倍の大きさで作っているそうです。
これで安心しました(笑)
えか、
別に僕がこれで戦う訳じゃないのに(笑)
その「日本号」の本物がこちらです。
福岡市博物館で見たもので、
このサイズなら戦えますし
実際にこの槍の切っ先には
戦った傷がついておりました。
母里太兵衛のお墓についての案内。
母里太兵衛の墓所
母里太兵衛の墓所全景。
左から母里太兵衛、真ん中が孫の友清公、
右が息子の友晴公となっています。
う〜ん息子のお墓が飛び抜けて立派だ〜
というのが感想です(笑)
今日の癒し
麟翁寺の略記の写真です。
小さいですが、
右下の母里太兵衛のお墓の写真を
僕が撮影したものと比較すると
何かが違います。
そうです、背景に映り込んだ隣のお寺などが
綺麗に消されて
青一色に加工されているのです。
写真があるだけでもイメージが湧くのに、
それ以上
「分かりやすく見せる」という点での
芸の細かさに癒されました!