立石寺(山寺)(山形県)その5

 

急斜面

立石寺の麓、根本中堂から

山上の奥之院までは、

高さ(比高)160mほどの

山登りとなります。

全行程1015段と表示された

石段が設られ、

綺麗に整備されていますので、

「ザ・登山」

という感覚にはなりませんが、

かなり息切れしていました・・・。

金刀比羅宮の奥社までや

久能山東照宮の本殿までを考えれば、

1015段という段数は、

少ないはずなのですが、

立石寺の場合、「急斜面」なのです。

「崖登りに近い山登り」?

何とか制覇できました(笑)

御手掛岩

山門から石段で270段ほどで、

御手掛岩という大岩が

石段を塞ぐかのようにして

鎮座しています。

慈覚大師円仁が大岩を押し開いて

出来た道と言われている道は、

大岩の部分だけ狭くなっています。

こんな表示が各所にあるので、

崖登り(笑)の励みになります。

「慈覚大師の手の跡」と言われる

くぼみに手を合わせ、

ニッコリ拝む妻。

なんかご利益いただけたような(笑)

巾は40〜50cm位でしょうか、

かなりの狭さです。

妻を入れて狭さを考察(笑)

百丈岩

次なるスポットは百丈岩。

「修行者の参道」

以下、案内です。

「お山の自然にそって

つくられたこの参道は、

昔からの修業者の道。

一番せまいところは

約十四センチの四寸道で、

開山・慈覚大師の足跡をふんで、

私たちの先祖も子孫も登るところから、

親子道とも子孫道ともいわれている。

左上にそびえる百丈岩の上に、

納経堂や開山堂、

展望随一の五大堂がたっている。

参道のあちこちの、

車のついた後生車という木柱は、

年若くして亡くなった人の供養で、

南無阿弥陀仏ととなえて車をまわすと、

その仏が、早く人間に生まれて

来ることができるという。」

この案内に書かれた「百丈岩」を

見上げてみました・・

本当は凄い岩ですが、

写真ではあまり迫力が伝わりません(汗)

足元の風車が供えられた

仏様(お地蔵様)に参拝。

ただ、

何故に風車なんでしょうか・・・

ここで、

津和野の鷲原八幡宮境内で見た、

竹の風車を思い出しました。

こちらがその「竹の風車」です。

多分・・妻は忘れているでしょう(笑)

四寸道

立石寺の参道には、

詳しい案内が豊富で、

実に良く整備されていると

案内を見るたびに感心してしまい

同じ事を何度も書いてしまいます(笑)

こちらの四寸道の案内もその一つ。

四寸道を通過中の妻。

四寸は約12cm、

確かにそんな巾でしょう!

磨崖仏

四寸道を通過すると

すぐ左側に見えるのが磨崖仏です。

立石寺でも最古級の磨崖仏だそうで、

侵食は進んでいるものの、

仏像の形はしっかり残っていますね!

左右の札には、

「磨崖仏 平安初期」

「伝 安然和尚像」

このように記されています。

1200年もの間、

よくぞ姿を留めてくださいました!

せみ塚

少し登り、「せみ塚」に到着。

「せみ塚」

案内を書き出すと

以下になります。

「松尾芭蕉のおくのほそ道の紀行文に、

山形領に立石寺といふ山寺あり。

慈覚大師の開基にして、

殊に青閑の地なり。

一見すべきよし、

人々の勧むるによりて、

尾花沢よりとって返し、

その間七里ばかりなり。

日いまだ暮れず。

麓の坊に宿借り置きて、

山上の堂に登る。

岩に厳を重ねて山とし、松栢年旧しょうはくとしふり、

土石老いて苔滑らかに、

岩上の院々扉を閉ぢて物の音聞こえず。

岸を巡り、岩を這ひて、仏閣を拝し、

佳景寂寞かけいじゃくまくとして心澄みゆくのみおぼゆ。

閑かさや岩にしみ入る蝉の声ー

芭蕉翁の句をしたためた短冊を

この地に埋めて、

石の塚をたてたもので、

せみ塚といわれている。」

松尾芭蕉さんに

「立石寺いいよ!是非行ってみな!」

そんなアドバイスをした人、

グッジョブでした(笑)

約28kmも歩いて(多分)戻った

松尾芭蕉さん、

立石寺を事前に知らなかったからこそ

尚更感動して、

不朽の名作・・というか、

不朽の名句が生まれたのかも

知れませんね!

せみ塚に参拝。

参拝する場所か?(笑)

弥陀洞

見所が多いのと

急斜面で体力低下が著しく、

嬉しい悲鳴と苦しい悲鳴が、

鋭意共存中(笑)

せみ塚から弥陀洞へ。

「もや部隊慰霊塔」

この時はよくわからず参拝しましたが、

後で、ネットで調べると戦時中、

フィリピンのルソン島で

戦死した方々の慰霊塔でした。

弥陀洞。

大きさ比較の為、妻登場。

「弥陀洞」

「ながい歳月の風雨が直立した岩をけずり、

阿弥陀如来の姿をつくり出した。

一丈六尺(約4.8m)の姿から

丈六の阿弥陀ともいい、

仏のお姿に見ることができる人には、

幸福がおとずれるという。

山寺の岩は、新第三紀中新世の

凝灰岩からなっており、

自然の景観を土台にして、

宗教文化の殿堂が築きあげられている。」

Wikipediaによると、

新第三紀中新世は

約2300万年〜530万年前の期間。

とんでもない年月が、

創り上げているんですね!

ただ、丈六の阿弥陀様のお姿は

分かりませんでした(汗)

岩に彫られた供養板。

「寛永十七年十一月十七日」

その後に、

三人の戒名などが刻まれています。

寛永は徳川家光さんの時代。

400年近く前の方を供養したものが

ちゃんと残っているんですね・・・

仁王門

仁王門が見えれば、

もうすぐ頂上付近、

なんか元気が出てきます!

仁王門遠景。

案内を抜粋すると

以下になります。

「嘉永元年(1848)に再建された

けやき材の優美な門で、

左右に安置された仁王尊像は、

運慶の弟子たちの作といわれ、

邪心をもつ人は

登ってはいけないと、睨みつけている。

後方の閻魔王がこの門を通る人たちの

過去の行いを記録するという。」

まずは仁王尊像へ。

阿形。

吽形。

閻魔王様たち。

過去を暴かれるとは、

こ、怖い〜(汗)

反対側には筆記官でしょうか?

何にんもいらっしゃいます。

山門をくぐって振り返り。

仁王門右側の崖。

案内には、

「右の岩穴に見える石塔には、

亡くなった人のお骨が入っており、

他の岩穴にも古い人骨が

収められている。」

このように書かれています。

なんか、

ここも身が引き締まる場所ですね。

山頂はもうすぐだ〜!

(続く)

 

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