龍源寺間歩(石見銀山)前編
シダの葉
龍源寺間歩の周囲では、
シダの葉を多く見かけます。
ガイドさんは、
「このシダは「ヘビノネゴザ」といい、
貴金属を好む性質を持ち、
金銀山発見の
手がかりになったんですよ」
このように話されていました。
「シダ」と言えば、
関ケ原の戦いで勝利した直後、
石見銀山を抑えた徳川家康も
兜の前立て(正面の飾り)には
「勝草」(かちぐさ)と言われ、
縁起の良い、
「シダの葉」をあしらっていました。
今年2月に訪問した浜松城に建つ
「若き日の徳川家康公銅像」。
右手にはシダの葉を持っています。
石見銀山でシダのことを知った後、
改めてこれを見ると、
「石見銀山獲ったるぞ〜!」
なんて、
予言のようなポーズにも
見えてしまいますが、
石見銀山を制することは、
天下を制すること。
シダの葉は、
間違いなく「勝草」なんですね!
龍源寺間歩
現在の石見銀山で、
予約無しで入れる間歩(坑道)が、
龍源寺間歩です。
料金所。
パンフレットと入場券。
イオングループが、
石見銀山を支援しているらしく、
WAONカードでの支払いだと310円。
僕は事前に知っていたので、
しっかりWAONカードを使い、
二人分200円お得に(笑)
案内によると
「本来の「旧坑道」は600m、
その157m入った部分に
平成元年、観光用に出口を作った」
と書かれています。
間歩に入る前、
ガイドさんが撮ってくれた
ツーショット。
サービス精神旺盛な、
素晴らしいガイドさんのお陰で、
多くの思い出をいただくことができ、
本当に感謝しています。
案内。
冒頭部を抜粋して書き出すと、
以下になります。
「江戸時代中期以後に開発された間歩で、
「御直山」と呼ばれた
代官所直轄の操業地にあった坑道で、
「御直山」の中でも
銀山を代表する「五か山」の一つです。」
間歩に入る瞬間のポーズ(笑)
入る前に参拝したのは、
上に鎮座する祠です。
江戸時代の人たちも
ここで安全を祈願して
間歩に入っていったのでしょう。
間歩内でのポーズ(笑)
中は、
真夏とは思えないほどの涼しさです。
人間が立てる
この大きさまで掘られたのは、
明治以降のことだと
ガイドさんが言われていました。
鉱脈の一つ。
奥へ。
ノミの跡。
鉱脈に沿って横への坑道があります。
閉所恐怖症になりそうなくらい
狭い中での作業だったんですね・・・
岩盤を支える赤い鉄骨と、
妻の赤いリュックのコラボ(笑)
鉱脈。
ここも横への坑道。
上が江戸時代の掘削部分で、
段差があるした部分は明治以降に
広げられた部分だそう(ガイドさん談)
さらに奥へ。
一緒にツアーに参加した
関西女子3人組の方が、
「こんな所にも草が生えるんですね」
そう言うと、
「このライトの光で育っているんです」
とガイドさんのお答えが。
いや〜実にレアな
お話しではありませんか!
女子3人組のお陰で、
僕も龍源寺間歩を
ガイド出来そうです(笑)
竪坑の案内。
「この竪坑は排水坑です。
龍源寺間歩に溜まった水を
約100m下の永久坑道へ
排水したと言われています。」
このように書かれています。
竪坑。なんか深そうです・・。
さらに奥へ。
現在、入口から100m地点。
間歩の散策はさらに続きます。