妻女山松代招魂社(長野市)

 

どちらが正しいの?

神社の宮司さんが書かれた社号標は、

「妻女山松代招魂社」ですが、

案内の御由緒書きには、

松代妻女山招魂社」とあり、

ネットで検索しても

二つが同じくらい出てきます(汗)

いったいどちらが正しいのか、

結論は出ませんが、

やはりここは宮司さんに敬意を表し、

「妻女山松代招魂社」としています。

妻女山松代招魂社へ

川中島を一望出来る

妻女山展望台

すぐ近くに鎮座するのが、

妻女山松代招魂社です。

鳥居。

冒頭に書いた、

宮司さんによる

「妻女山松代招魂社」の社号標。

そして、案内の方には、

「松代妻女山招魂社」となっています。

案内を要約すると、

松代妻女山招魂社は、

戊辰戦争の際、

松代真田藩の藩士として従軍、

戦死された五十二柱の御霊を祀るために

第十代藩主、真田幸民が

明治二年に建立した神社である。」

「その後、日清、日露戦争、

太平洋戦争の戦死者まで、

九百六十九柱を合祀」

このように書かれています。

明治二年は、靖国神社の前身である

「東京招魂社」が建立された年ですから

この時期、全国的に招魂社

建てられたのかも知れません。

拝殿。

参拝。

右が拝殿、左奥が本殿。

参拝を終えて、

拝殿横から空を見上げると、

曇りがちだった空が、

さわやかな青空に変わっていました。

御英霊の方々が、

歓迎してくれたのかな・・・

 

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