さざえ堂(会津若松市・飯盛山)

 

さざえ堂を引き寄せた物

以前から気になっていた「さざえ堂」。

そんなさざえ堂を

引き寄せてくれたのは、

こんな物でした。

妻が1年半前に百均で買ってきた

ドアストッパーです(笑)

僕たち夫婦は、これを使う度に

ストッパーとは言わず、

「さざえ堂」と呼びかけていました(笑)

やはり言葉は言霊、

ついにその日が来たのです。

さざえ堂へ

嚴島神社の境内から

さざえ堂へ向かいます。

さざえ堂は階段の上に見えていますが、

その前に幾つかの石碑などを確認。

「天高し ピサの斜塔と さざえ堂」

何となくわかる気が・・(笑)

白虎清水と名付けられた水。

その後、慈母子育観音を安置したと

書かれています。

「激水は 白虎のごとし 山の春」

確かに戸ノ口堰洞穴から流れ出る

水の勢いは強く、

こんな比喩が似合いそうですね!

ワクワクしながら石段を登ります。

遂にご対面!(笑)

いくつか案内がありましたが、

料金所に掲げられていた

古い新聞記事が、

さざえ堂の魅力と謎解きを

余すところなく伝えてくれています。

日付は昭和47年(1972年)。

僕も妻も

まだ小学6年生でした(笑)

記事を抜粋、要約、加筆すると

以下になります。

「バロックと江戸建築

会津さざえ堂の源流」

「江戸時代中期、

江戸から北関東にかけて

「さざえ堂」という仏堂形式があった。

さざえ堂の形式には二種類あるが、

塔の形をなしているのは、

会津若松市にただ一棟あるだけである。

寛政八年(1796)の建立で、

六角堂で高さ約16m、

正面から入ると右回りに

スロープがらせん状に上に登り、

頂上で橋を渡ると下りの

左回りのスロープになり、

背面の出口に通じている。

二重のらせん状のスロープを

組合せたもので、

両方のスロープにそって、

中心部に元は計三十三の

西国札所の観音像が配され、

上り下りの一巡によって、

西国観音札所の順礼を終えるという、

いわば庶民のための

即席の順礼観音堂であった。

旧正宗寺に属し、

白虎隊の墓の近くにある。

スロープを用いたのは、

参拝しながら上り下りする時の、

足もとの不安を除くためであり、

二つのらせん状のスロープを組合せて、

堂内の参拝路を一方通行にしたのは、

堂内の参拝者の流れを

スムーズにさばくためであった。

二重のらせん状の

スロープを組合せた例は

レオナルド・ダビンチのスケッチにあり、

またパリの中世建築に

例があったといわれているが、

実物は現存していない。

実用本位に、

とかく陰に置かれていた階段が、

空間の動的表現の手段として

晴れの場に持ち出されたのは、

バロック建築においてであるが、

二重のらせん階段も実例や

建築関係の手引書によって

広く欧州に広がった。

一方、徳川吉宗による

享保五年(1721)の

洋書解禁によって、多くの洋書が

オランダから輸入され、

医学、絵画その他について

新知識がもたらされた。

平賀源内によって、

写実と透視画法に基づく

洋画に開眼した人々の中に、

秋田藩主で画家でもあった

佐竹曙山(しょざん)がいた。

そのスケッチ帳にある

二重らせん階段の図は、

初期洋画の研究者の間では

早くから知られ、

洋書からの写しと考えられていた。

最近、これが1670年に

ロンドンで出版された

ジョセフ・モクソン著

「実用透視画法」の

第三十五図の写しであることを

つきとめることができた。

つまり二重らせん階段の構想は、

曙山の晩年(1785年没)には、

輸入書を通して日本の一部の人々の間に

知られていたのである。

曙山のグループとさざえ堂を結ぶ歴史の糸は

さだかではない。

しかし西欧の空間概念の理解なしに、

日本の仏像建築の伝統の中から

突如としてさざえ堂のごとき

異質の構想が生まれたとは、

どうしても考えられない。

しかも西欧の例が、

単なる通路であったのに対し、

中心部に観音像を配した

会津さざえ堂の建築計画は、

単なる模倣ではなく、

天才的な創造と見るべきだと思う。」

いや〜凄い経緯ですね。

100%正解でなくても

大いに信ぴょう性はあるでしょう。

ここで、

佐竹曙山をWikipediaで調べると、

曙山とは「号」で、

本名は佐竹義敦と言い、

佐竹さんに絵を教えた

藩士の小田野武直は、

あの有名な杉田玄白の解体新書の

付図の作画を行なったと

書かれています。

徳川吉宗さんの

享保の改革がなければ、

さざえ堂も、

オランダ語を訳した解体新書も

無かったかも知れませんね。

凄いぞ、吉宗さん!

日本遺産としての案内。

正式名称は「円通三匝堂」

(えんつうさんそうどう)。

外観

案内を見た後は、

さざえ堂の外観を楽しみます。

正面。

北側側面。

外観も独創的としか

言葉がありません。

斜め後ろから。

南側面。

う〜ん大満足(笑)

そして参拝。

唐破風の向拝。

龍神様だけが金色なのが、

なかなか渋いな〜!

「光栄」と「御登臨」の文字の間に、

大正天皇、昭和天皇、

上皇上皇后陛下と

記されています。

三代にわたりさざえ堂に

登られているとは、

間違いなく「光栄」ですよ!

内覧

いよいよ中へ。

入り口正面には、

さざえ堂を考案した僧郁堂の木像が

鎮座しています。

素晴らしいものを

残してくださって、

本当にありがとう、郁堂禅師さん!

らせんスロープ。

さらに上へ。

中心部は空洞になっていて、

反対側のスロープが見えています。

頂上の太鼓橋に到着。

橋を渡り反対側へ。

橋の左右には、

神仏習合時代には

観音様が安置されていた

空間が残っています。

それにしても千社札が

多いですね(笑)

太鼓橋を渡りきった所。

ここからは下りです。

またまた、らせん!(笑)

これが冒頭に書いた、

我が家の「ストッパー」に

一番似てる写真かな?

いや、ストッパーが

さざえ堂を想像させてくれたので、

逆ですね(笑)

もうすぐ裏側の出口です。

恐れ多くも、

正宗寺開祖の「残夢大禅師」が、

出口でお見送りをしてくださいます。

外に出てツーショット。

これにてさざえ堂の散策は完了です。

 

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