宇賀神堂(会津若松市・飯盛山)

 

慰霊の山

江戸時代までの飯盛山は、

正宗寺の寺域だったようですが、

戊辰戦争で白虎隊がここで自刃し、

お墓も建てられたことにより、

少年たちを慰霊する山という

位置付けになっています。

宇賀神堂も元々は、

「宇賀神様」を祀っていたものが、

明治時代に入り、

白虎隊の慰霊を兼ねる

場所となっています。

大東亜戦争(太平洋戦争)でも

白虎隊と同じ年代である

15〜7歳ほどの少年兵が、

硫黄島など各地で戦死していますが、

そんな事実を、

ほとんどの人は知らないでしょう。

そう考えると、

ここで慰霊されている少年だった方々は、

ある意味、

恵まれているのかも知れない・・

なんて考えてしまいます。

宇賀神堂へ

さざえ堂と同じ境内地跡に立つ

宇賀神堂へは、

気合いを入れなくても(笑)

すぐに行けます。

さざえ堂と宇賀神堂(右奥)

徒歩30歩くらいかな?(笑)

先に宇賀神堂のそばに鎮座する

稲荷神社に参拝。

宇賀神堂。

「宇賀神堂」の案内。

「第3代藩主松平正容公によって

宇賀神弁天が祀られたお堂です。

堂内には、明治23年(1890年)

白虎隊墳墓改修の際、

大橋知伸、田中治八の

両氏によって制作された

フランス流洋服姿の自刃した

白虎隊19士の像が安置されています。」

このように書かれています。

白虎隊士像とともに、

白虎隊ただ一人の生き残り、

飯沼貞雄氏の写真も安置され、

全20名の隊士全員を慰霊できます。

像の存在感で、

宇賀神弁天様よりも

白虎隊士たちばかりに

意識が行ってしまったのは、

宇賀神様には秘密です(笑)

「白虎隊士自刃之図」

宇賀神堂向かって右手前に

建てられた供養車。

「この車を廻せば悲痛な音を発し、

これが冥土にとどいて白虎隊士の霊魂を

慰めるものです。

また石の台は中国伝説の

獏(ばく)といい夢を喰うので、

その頭にのぼれば悪夢消滅の

願いをかなえると言われます。

心静かにお廻しください」

このような案内があったので、

妻が、鎮魂のために

廻してみました・・・。

ただし、現在のところ

消滅を願うほどの悪夢はないので、

獏の頭には乗っていません(笑)

 

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