瀬田八幡宮(山口県和木町)
なにか
日本一古い木造建築は、
奈良県、法隆寺の金堂と五重塔で、
御年1300歳以上(笑)
長生きする秘訣は、
ただ健康(建築物なら強度など)
というだけでは、ありません。
むしろそれよりも重要な事があります。
それは・・・「運命」。
これしかないでしょう。
品行方正で、努力家で、
健康そのものの人が、
不慮の事故・事件で亡くなる事もあるし、
そうかと思えば、
悪事を沢山働いていても(笑)
長生きする人もいます。
また、
室町時代に建てられた金閣寺のように
400年以上健在だったのに、
昭和になって放火され全焼したり
第二次世界大戦末期、
桃山時代~江戸時代築造の
多くの貴重なお城の天守が
米軍の爆撃で灰燼に帰していますが、
爆弾が直撃したのに
幸運にも不発だった姫路城は、
世界遺産として現在も
創建当時の美しい姿のままだったりと
人智では及ばない、
「何かがある」から「今ある」はず・・・。
だから僕は古いものを見ると、
その建物に「運命」、
わけても「強運」を感じます・・・
そして、
瀬田八幡宮への訪問のきっかけは、
300年以上前、
江戸時代中期に建立された
御本殿が見られる事。
この御本殿も「運命」を含む
「なにか」があったからこそ、
今日まで生きながらえているのでしょう。
僕達がその強運に
あやかる事が出来るか否かは、
天のみぞ知る・・・ですね(笑)
小瀬川
瀬田八幡宮の崖下には、
風光明媚な「小瀬川」が流れていて、
あまりにも綺麗なので、
参拝前、水辺まで降りてみました。
小瀬川上流方面。
小瀬川下流方面。
この川の真ん中が山口と広島の
県境となっています。
白鷺が一羽お出迎え。
写真がボケてますね・・・(汗)
参道
瀬田八幡宮の駐車場から
参道までの間に、
偶然見つけた願掛地蔵と
小瀬川の清流で思い切り癒やされ、
既に禊も完了した気分です(笑)
小瀬川横の道路を挟んで
山側(崖側)が参道入口。
社頭。
少し歩き小瀬川上流方面を撮影。
この風景、
何度見ても癒やされる~!
一の鳥居。
石段で御社殿方面へ。
狛犬。
古そうな雰囲気なので、
江戸時代の寄進かも知れません。
吽形・・
いや、「い~形」(笑)
なかなか味のあるお顔ですね!
二の鳥居から境内奥へ。
ちょっとお洒落な手水舎。
四脚ではなく、
高めの石の基礎に
両端の木材を載せるタイプで、
見た目もスマート。
しかも柱が根腐れしにくくて、
耐久性も良さそうです。
手水鉢。
清浄な水に柄杓、
アルコール消毒も完備。
拝殿前の狛犬は、
明治三十九年の寄進。
こちらも「い~形」(笑)
このお顔、石工さんの
好みなんでしょうか?
御社殿
まずは、拝殿へ。
拝殿にて参拝。
拝殿右側からお目当ての本殿へ。
お~!遂に出会えました!
素朴で、素晴らしい本殿ですね。
瀬田八幡宮本殿の説明。
要約、抜粋すると
「瀬田八幡宮は、
山城国男山八幡宮から
勧請されたと伝えられ、
寛永六年(1629)岩国領主、
吉川広正により再興が命じられた
瀬田村ほかの氏神である。
現在の本殿は、棟札によれば、
正徳五年(1715)吉川亀次郎
(6代藩主経永の幼名)の命で
建立されたもので、
桁行4.06m、梁間3.97mの
前室付き三間社流造り向拝
(本殿の正面の張り出し部分)
一間、銅板葺である。
全体的に装飾要素が少なく、
(中略)古式をとどめている。
(後略)」
このように書かれていて、
山城国男山八幡宮とは、
京都府の石清水八幡宮の事を
指していると思われます。
真横から。
後ろから。
野面積みの石垣も
建物同様素朴で見応えあります。
これで、強運をGET!
出来た・・・かも?(笑)
境内社など
次に境内社へ。
稲荷大明神。
参拝。
稲荷大明神横の石祠。
忠魂塔に参拝。
絶景スポット
境内の端っこ、
小瀬川を望む場所に、
こんな案内があります。
「史跡 柏崎」の標柱と説明。
内容を書き出してみると
「「柏崎流れて遠き潮路まで
玖珂の浦半(うらわ)に帰る夕浪」
平清盛が安芸国に下向の折、
一日舟遊びを楽しんだ時に
詠んだ歌と伝えられています。
日本総国風土記に
「小瀬川は飯山に源を発して流れ下り、
柏崎に沿って海に注いでいる」と見え、
また「玖珂郡志」には
「柏崎はもともと玖珂郡のうち」と
記されています。
和木町教育委員会」
このようになります。
厳島(宮島)や江田島までが見えて、
素晴らしい眺望ですね!
この景色、
平清盛さんも見たのかな?(笑)
力石
次に力石へ・・・
と思ったのですが、
何処にあるのか分からず、
宮司さんに案内してもらったのが、
二の鳥居のすぐ横です。
灯台下暗し?だったかな?
「力石」
案内によると
「江戸時代、和木村では、
男子が満十五歳になると若連中に加入して
村の働き手となる習わしがありました。
若連中に入る時には力試しが行われ、
差し上げた石の重さによって
報酬分配の基準が定められたといわれます。
一番石の重さは240キロで、
「脇村の住人都石源之進」と刻まれており、
この人以外に差し上げた人は
なかったものと思われます。」
このようになります。
「和木」は江戸時代「脇」
だったのですね。
村の歴史を知る事が出来る力石、
貴重な社宝の一つですね。
力石のアップ。
御朱印
境内の社務所に
宮司さん夫妻(多分)が
いらっしゃったので、
御朱印をお願いしました。
全くの偶然ですが、
御朱印、提灯、神社幕と
「三つ巴」紋が
3つ同時に写っていますね!
これぞホントの三つ巴?(笑)
最後はツーショットで〆。
瀬田八幡宮、
御社殿も宮司さん夫妻も、景色も
ぜ~んぶ素晴らしい神社さんでした。