陽興寺の須古鍋島家御霊屋(佐賀県白石町)

 

龍造寺氏と鍋島氏

家臣が主君(藩主)を殺して、

あるいは権力を強奪して、

新たな支配者になる事を

「下克上」と言いますが、

戦国時代は、全国的に、

この下克上は多くみられました。

そんな中、佐賀藩では、

下剋上無く政権が入れ替わっています。

島津氏との戦いで破れた

龍造寺隆信の死により龍造寺氏の

勢力は弱体化し、

しかもその子、孫とも後継者は凡庸で

一国の長となるには無理だったのもあり

また、龍造寺隆信の実母であり、

鍋島直茂の義母である慶誾尼(けいぎんに)

の両家の繁栄を願い

奔走した甲斐もあってか、

平和裏に政権の移譲が為されています。

龍造寺氏の子孫は後に、

「鍋島」姓を貰い、

明治維新まで、繁栄しています。

そんな繁栄した

龍造寺氏系鍋島氏の一つ、

須古鍋島家累代のお墓が、

ここ陽興寺にあり

いわば菩提寺となっています。

須古鍋島家御霊屋(おたまや)

本堂の参拝を終え、

お寺を後にしようと思った時、

妻からのお告げが(笑)

「あそこに何かあるよ!」

本堂向かって左手に進みます。

手前には現代のお墓があり、

その先に妻が見つけた「何か」が

見えています。

凄いものを見つけました。

「陽興寺の須古鍋島家御霊屋」

という須古鍋島家のお墓です。

案内も文章とお墓の配置図で完璧です。

小松帯刀の墓以来、

先人や賢人達のお墓フェチ(笑)な僕、

神聖な場所にも関わらず、

ちょっとはしゃいでしまいました(汗)

石段で登ります。

ここからの見晴らしは

かなり素晴らしいもので、

須古城まで見えていますね!

お墓に眠る

鍋島家(元龍造寺家)の人々も

生前の住まいだった

須古城を眺めながら落ち着ける

心安らぐ場所となっています。

石段登ってすぐ右手は、

第4代弟のお墓。

こちらは立派な玉垣付き。

13代、3代など。

この背後にあるのが、

一番古い部類のお墓です。

左から四番目は、龍造寺隆信の弟、

須古鍋島家の初代、

信周(のぶかね)お墓ですが、

ここには門構えも、玉垣もなくて、

比較的簡素ですね。

8代、6代などのお墓。

こちらは三重塔という豪華な造りです。

苔むした玉垣。

春日灯籠がいくつも建てられています。

10代や12代などのお墓。

一番奥には、15代のものがあり、

五輪塔などではなく、現代の墓に

近い形になっていますね。

15代の反対側の端には、

案内の中にはあるものの

名前などは書かれていないお墓と

供養塔があります。

案内には殉死者の墓もあると

書かれていましたので、

もしかするとそのような方々の

ものかも知れません。

そして、僕が一番気になったのは、

この墓から100mほど先、

背後の山に見えている

同じような五輪塔です。

須古鍋島家御霊屋の案内図にも

ここの存在は全く書かれていませんが、

お墓の形からして、

それなりの地位があった人でしょう・・・

五基あるうち、両端の五輪塔は、

上部が無くなっています・・・

権力争いの結果なのか、

自然に落ちたのかは謎ですが。

こうして見ると、

白石町全体を眺められるように

建てられたとしか思えませんね。

合掌・・・

今日の雲

陽興寺境内から白石町を眺めた時の雲。

贔屓目に見て(笑)

鳳凰が羽を広げたみたいな

ちょっと神々しい雲を発見。

慶誾尼がお墓を見守っていたのかな?

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください