周防国分寺(山口県防府市)

 

奈良時代から同じ場所

Wikipediaによると

「天平13年(741年)の

聖武天皇の詔により各国に

建立が命じられた国分寺のうち、

周防国の国分寺である。

創建当初の境内に、

現在もそのままの規模や配置で

寺域が残っているのは珍しい例とされる。」

このように書かれています。

要するに奈良時代の寺域が

令和の今も「国分寺」という名で

続いているのです。

これって、かなり凄いことですね。

聖武天皇もきっと

喜んでいらっしゃる事でしょう。

周防国分寺へ

防府天満宮の裏側というか、

ご近所とも言える場所に、

周防国分寺は鎮座しています。

駐車場にある案内。

防府市の三大見所?でしょうか。

境内に入ると同時にあるのが、

「聖天様」を安置する聖天堂。

お寺のサイトによると

「聖天様は、もともと障碍

(妨げ、トラブル、破壊)を司る

神(悪神)であったが、

十一面観世音菩薩によって善神に改宗」

このように書かれていますので、

僕も改心すれば、

善人になれるかも?(笑)

そして、聖天堂の前にあるのが、金堂です。

ここを目指してきたのですが、

こちらはまだ裏側です。

裏正面。

寛永9年(1632年)

毛利秀就によって再建された中門。

この門をくぐり、金堂の正面に回ります。

正面境内入口。

塀の外から伸びたクスノキの枝が

閑静な境内の雰囲気を

素敵に演出してくれています。

楼門。

戦国時代末期の1596年に

毛利輝元が再建して以来、

何度か改修されていますが、

昔の姿を今にとどめている

貴重な楼門(仁王門)です。

門の中から金堂を臨む。

楼門をくぐり、横から撮影。

楼門先にある塔跡の説明板。

ここは、奈良時代、七重の塔が

建っていた場所と推定されています。

塀の外か、見たクスノキ。

対になる反対側のクスノキ。

広い参道に合わせたかのように、

巨大な金堂が見えています。

境内に人影はなく、

僕たちだけで、

この雰囲気を満喫できるとは、

なんと贅沢な事でしょう。

国指定重要文化財の金堂。

現在の金堂は、安永8年(1779年)

毛利重就によって再建されたもので、

平成9年から8年間かけて、

解体修理されていて、

その時、ここが奈良時代の創建当初の

金堂が建てられていた場所であることも

確定したそうです。

斜めから撮影。

ここでツーショット。

境内散策

金堂周辺には、

気になるものが幾つもあります。

衛門三郎、弘法大師、子授け地蔵。

佛足跡。

確かに足型!

禁門の変で戦死した

国分寺隊の招魂碑。

神社(社名はわかりません)。

正面には槇の木があり、

その左横に石祠が鎮座しています。

神様が木に遠慮している感じが

なんだか奥ゆかしく感じられ、

ほっこりしますね。

金堂内へ

金堂の外観と

境内を散策した後は、

いよいよ金堂に入場して、

古い仏像とご対面です。

実はこの日、雨予報だったので、

旅は次の日にしようかと思ったのですが、

予定通り旅を決行。

これが大吉と出ました!

現地で知ったのが、

金堂の休みが月曜日だったこと。

僕たちは日曜日だったので、

こうして内観できたのです。

これも仏様のお導きと

勝手に喜んでしまいました(笑)

寺務所で、拝観料を納めて中へ。

金堂内は撮影禁止なので、

写真はありませんが、

本尊藥師如来坐像など

50体ほどの仏像を堪能できました。

ここから入場。

狛犬。

吽形。

また、住職さんのお話も

なかなか楽しくて、

中でも印象に残ったのが、

今の金堂を再建した毛利家の

「誇り」を垣間見れた事です。

金堂正面には、

天皇家の菊の御紋が

屋根瓦ともどもあしらわれています。

入口の上も同じく菊の御紋。

正面の菊の御紋アップ。

ところが・・・・

その菊の御紋の反対側、

金堂の唐破風の裏側には、

こんな紋が彫り込まれています。

毛利家の家紋、

「一文字三ツ星」です!

天皇に遠慮しながらも

自分の力で建てたんだ・・・

そんな思いが詰まった家紋です。

住職さんに出会っていなければ、

ここは100%見逃している

「隠れた見所」でしょう。

これで、外観、内観とも素晴らしかった

周防国分寺の参拝は完了です。

 

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